この記事を書こうか、どうしようか、迷いました。
親しい人のご家族が亡くなりました。
その知らせを聞き、ただただ驚き、ショックで、
そのことばかりを考えるようになっていました。
どうして。なんで。
ずっと、そんなふうに考えていました。
妹に、どうしてだろう、なぜなんだろうと聞いた。
「まずは、他人事だと、理解しなさい。」
ナースの妹は、長年、精神科に勤務していた経歴がある。
その妹からの言葉に、最初は、「冷たさ」を感じた。
「うつ病」という病気があります。
「うつ」という言葉を、私たちは、わりと軽く口にしたりします。
けれど、たぶん、その病気が、本当に恐ろしいものだと、
知っている人がどのくらいいるのか。
「うつのたどり着く、『真実』は、自殺しかないから。」
妹から、そう教えられていました。
うつ病になると、最終的に求めるもの、
つまり、ゴールのようなものとして、「死」を求めるようになるのだそうだ。
「姉は、それを克服したからね。」
そう言われ、そうか、私自身、そうなっていたのかと、
自分自身、気づかないうちに、
いつの間にか、うつ病のようなものは、自分の中に入っているらしい。
若い頃、大失恋したことがある。
心に、大きな穴が開いた。本当に開いた。
自分の出生について、母から語られたことがある。
その内容を聞き、ショックを受けた。
そんなときでさえ、「死」を考えることはなかった。
ほんの数年前のことだ。
自分の「存在」の意味を考えるようになった。
自分自身は、何のためにいるのか、
その存在の意味はないのではないか、と考えるようになった。
なんか、なんもかんも、イヤになっちゃったな。
生きてる意味ってないかも。
あ~あ、死んじゃおうかな。
そんな言葉が、ひとり言のように呟かれるようになった。
そんなに重い意味は持たずに。
そんな愚痴を、絶えず、聞いてくれたのが妹だった。
その時の私からすれば、ただの「愚痴」だ。
その愚痴を、私は、家族には言わなかった。
言うつもりもなかったし、言う気もなかった。
家族に、「わざわざ」、話す内容ではないと、
自分で、そう理解していた気がする。
だから、たぶん、家族の誰一人として、
母の、妻の、この気持ちの変化に気づいた人はいなかっただろう。
「うつ病の理由、原因は、何でもなり得るし、
だから、誰でも、それになり得る。」
妹に教えられ、ああ、そうかと、改めて納得する。
これ、という理由はあるにはある、
これ、になり得る原因も、あるにはある。
今、歩いている「道」が、なんだか歩きにくくなったら、
別の道に進めばいい。
右でも、左でも、斜めでも、
道は、どこまででも続いている。
ただ、それを決める時には、
自分一人で決めないほうがいい。
誰かに、たくさんたくさん、愚痴って、
「相談」ではなく、愚痴って愚痴って愚痴って、
そうしているうちに、自然と、進む方向に、
ちゃんと、歩いて行けてるような気がする。
愚痴を聞いてくれる人は、必ず、いる。
絶対に、いる。
あらためて、妹に、本当に感謝します。
亡くなられた、あのご家族が安らかに眠れますように、
心から、心から、お祈りいたします。