道 | みみのきもち 50才からできること

みみのきもち 50才からできること

耳つぼジュエリーをお仕事として始めたのは50才、Wワークを始めたのは54才、56才から放送大学で学び直しをしています。
まだまだ続く、双子の息子たちのお話、耳つぼのお話、ちょっと不思議のお話。

この記事を書こうか、どうしようか、迷いました。

 

親しい人のご家族が亡くなりました。

その知らせを聞き、ただただ驚き、ショックで、

そのことばかりを考えるようになっていました。

 

どうして。なんで。

ずっと、そんなふうに考えていました。

 

 

妹に、どうしてだろう、なぜなんだろうと聞いた。

 

「まずは、他人事だと、理解しなさい。」

 

ナースの妹は、長年、精神科に勤務していた経歴がある。

その妹からの言葉に、最初は、「冷たさ」を感じた。

 

 

「うつ病」という病気があります。

 

「うつ」という言葉を、私たちは、わりと軽く口にしたりします。

けれど、たぶん、その病気が、本当に恐ろしいものだと、

知っている人がどのくらいいるのか。

 

「うつのたどり着く、『真実』は、自殺しかないから。」

 

妹から、そう教えられていました。

 

うつ病になると、最終的に求めるもの、

つまり、ゴールのようなものとして、「死」を求めるようになるのだそうだ。

 

「姉は、それを克服したからね。」

 

そう言われ、そうか、私自身、そうなっていたのかと、

自分自身、気づかないうちに、

いつの間にか、うつ病のようなものは、自分の中に入っているらしい。

 

若い頃、大失恋したことがある。

心に、大きな穴が開いた。本当に開いた。

 

自分の出生について、母から語られたことがある。

その内容を聞き、ショックを受けた。

 

そんなときでさえ、「死」を考えることはなかった。

 

ほんの数年前のことだ。

 

自分の「存在」の意味を考えるようになった。

自分自身は、何のためにいるのか、

その存在の意味はないのではないか、と考えるようになった。

 

なんか、なんもかんも、イヤになっちゃったな。

生きてる意味ってないかも。

あ~あ、死んじゃおうかな。

 

そんな言葉が、ひとり言のように呟かれるようになった。

そんなに重い意味は持たずに。

 

そんな愚痴を、絶えず、聞いてくれたのが妹だった。

その時の私からすれば、ただの「愚痴」だ。

 

その愚痴を、私は、家族には言わなかった。

言うつもりもなかったし、言う気もなかった。

 

家族に、「わざわざ」、話す内容ではないと、

自分で、そう理解していた気がする。

 

だから、たぶん、家族の誰一人として、

母の、妻の、この気持ちの変化に気づいた人はいなかっただろう。

 

「うつ病の理由、原因は、何でもなり得るし、

だから、誰でも、それになり得る。」

 

妹に教えられ、ああ、そうかと、改めて納得する。

 

これ、という理由はあるにはある、

これ、になり得る原因も、あるにはある。

 

 

今、歩いている「道」が、なんだか歩きにくくなったら、

別の道に進めばいい。

右でも、左でも、斜めでも、

道は、どこまででも続いている。

 

ただ、それを決める時には、

自分一人で決めないほうがいい。

 

誰かに、たくさんたくさん、愚痴って、

「相談」ではなく、愚痴って愚痴って愚痴って、

 

そうしているうちに、自然と、進む方向に、

ちゃんと、歩いて行けてるような気がする。

 

愚痴を聞いてくれる人は、必ず、いる。

絶対に、いる。

 

あらためて、妹に、本当に感謝します。

 

 

亡くなられた、あのご家族が安らかに眠れますように、

心から、心から、お祈りいたします。