ダレカニアイサレタイ
ダレカニアイサレタイ
自分が誰よりも輝いている星であるか、または誰にも顧みられることのない無価値なごみであるか。
その両極端が同居して、常に不安定で、ダレカニ認められたい、ダレカニ抱きしめられたい、と呪いのように己を縛り付ける。
思春期とは多かれ少なかれ、そういう時期だった。
自分を愛してくれるダレカを求めるのでは無く、自分からダレカを愛すること。
本当はそれが魔法のカギなのだが、それに気がついた時には、たいていすでに満身創痍だ。そのケガを治していくのが、長い長い余生のはじまりだったりする。
そんな思春期の女の子たち、それもかりそめにも「アイドル」と名のつくいわば「アイサレル」エリートたちの集団だもの、そりゃあいろいろあるだろうよ。
彼女たちはあどけない顔をしていながら、とても切れ味のいいナイフを隠し持っている。
いや、隠してる自覚も、それが切れる、という意識もなく、そもそも自分が何を手にしているのかわからないままに振り回す。
他人や自分を傷つけてしまってから、何で血が流れているんだろう、と当惑する。
ちょっと恐いけれど、それが彼女たちの魅力のひとつでさえあるし、彼女たちの傷を見届けるのも、AKBという船に乗り込んだヲタの使命だということも知っている、つもりだ。
だがそれにしたって。なあ。
どうすんだよ、これ。
うん。新潟のことだよ。
僕は憤っている。
新潟のことはよくは知らない。
だがかつてそこに一粒の種が撒かれ、芽吹き、ようやく花々が咲こうとしていることを、僕は諸先輩のレポートから知っている。多くの人たちが、アイドルなんて言葉、人生で使ったことのなかったような人たちまでが、その花々を愛で、大切にしていることを知っている。まことに言祝ぐべきことだ。
でもその花が、ちょっとしたことで散り、枯れてしまう危ういものであることも、僕は骨身に沁みて知ってもいる。
詳しいこと本当のことがわからないのに、あれこれ言うのは控えるべきなのだろうが、それでもなあ。
刃物を突き立てるのは、ヲタの心臓だけにして欲しい。そのやり方を教えるのが大人の仕事だろうに。
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パジャマドライブの招待状が届いた。
前のご招待から1ヶ月とちょっと。
そんなに早く呼んで貰えるとは思わなかった。
ひょっとしたら、こういう「事件」の後だからなのかもとちょっとだけ思った。
りっちゃんとあんにん(とスタッフ1名)が傷つけられた日のすぐ後にも、僕は呼ばれた(結局公演自体キャンセルになったが)。
まあ100パー妄想なのだけれど、こんな時に呼ばれるってことは、僕が心臓をさらけ出すだけの「安心安全なヲタ」としてシアターの女神に認められているってことなんじゃないかしらん。
うん。熱いまなざしと、小さな声援と、貧弱なフリコピだけ携えて、心臓を突き刺されに行こう。
ここでついた傷は、シアターの魔法だけが癒してくれる。
まだ会わない君たち。
いつの日か必ず新潟にもこの心臓を持参し君たちの前に差し出すから、どうかそれまで耐えていておくれ。
お願い。