最初に見たつかこうへいの芝居は、「いつも心に太陽を」だった。
1979年2月。田舎の高校生だった僕は、西武劇場に続く渋谷の坂道を緊張しながら登っていったのを憶えている。
夏の海と男同士の恋。
お子ちゃまに愛というものの意味は判らなかったが、それが美しくも哀しいものであるということは、暗い客席で涙を流しながら会得した。
僕はその後しばらく演劇少年になる。見られるのは日曜のマチネくらいだったが、行ける芝居なら何でもよかった。ジァンジァンで加藤健一の「審判」や寺山修司を見たのもこの頃だった。
あれから37年だって?
馬齢を重ね薄くなった白髪頭の僕に、死んだつかは雲の上から「今さら何しに来たんだ」と毒づいている。
「うるせい、あんたの芝居を見に来たんじゃない。俺は松井玲奈を見に来たんだ」。
松井玲奈。
ステージで見たのは3年前のこと。それっきり縁のない人だった。「ゲキカラ」も「gift」も「名古屋行き最終列車」も見たけどね。なんだ松井R、気になってるンじゃん「初恋芸人」は見なかったけど。
今でも憶えている。いつの「総選挙」だったか、うつむいて泣きじゃくってコメントできない松井玲奈に飛んだヲタの檄。
「前向け!」。
その刹那彼女は涙を拭いもせず顔を上げた。その目には火が宿っているようだった。
何がかすみ草なものか。その根は太く、力強い。
「卒業」からもうすぐ1年。ひょっとしたら辞めていったメンバーの中で、いちばんうまく行っているんじゃあるまいか松井玲奈。
つかこうへい七回忌特別講演「新・幕末純情伝」@銀河劇場。
松井玲奈は主演の沖田総司。これは見に行かずんばなるまいよ。
18時半現場着。
エントランス近くには松井玲奈宛の花がたくさん飾られていた。めーてれからもちゃーんと。
でもAKSと秋元康事務所からの花は無かった。いかんなこれは。
19時開演。
21時10分閉幕。
あっという間の2時間ちょっとだった。
高校生の頃のように滂沱の涙にくれるということはなかったが、いい2時間ちょっとだった。
つかの芝居らしく場面転換は目まぐるしく、余計な説明はない。一人の登場人物に表れる幾層もの人格。なつかしのドラマツルギーだ。
「いいもの」と「わるもの」の区別がはっきりついて、物語の筋書きと「感動する場所」を説明してくれる人がいるドラマに慣れている観客には骨だったかもしれない。
役者たちは、松井玲奈を含め全力の芝居だった。決してうまくはないのだが、その姿は胸に迫るものがあった。
ただ難を言えば、言葉が伝わりにくい。
要するに役者の発声がよくないのだ。怒鳴り続ける、その気迫はよしとしよう。だが端的に何をしゃべっているのか伝わりにくい。
怒鳴ってもがなっても囁いても、言葉の粒がひとつひとつきちんと客席に伝わっていた風間杜夫や平田満の発声がいかにしっかりしていたか、ということなのだろう。
その粗野で猥雑で哀しくて美しい言葉を、客の心の奥に届けることができなければ、つかの芝居はただの言葉遊びに堕してしまう。
もっと言うならば「つかこうへいの脚本」という概念自体がある種の悪い冗談である。つかの芝居に脚本というほどのものはなく、あるのは骨組みと情念の方向性だけだった。
初日と楽日ではセリフや筋書きががらっと変わってしまう。それが当たり前の世界だった。
役者も客も、何が起こるか解らない、変転自在なつかの「言葉」の上で転がされ続けた。それがつかの魅力だった。
まあ、それができたのは、その場につかがいたからなのだが。
であるならば、せめて脚本に縛られることなくもっと「今の言葉」を伝えてもよかった。
それと矛盾するようなもの言いになっていまうのだが。
オリジナルでは確か沖田は土方に半ば強姦に近い形で犯されるはずだった。
この公演ではそのシーンがすっぽり抜けていて、後で「女にしてもらった」と説明されるに過ぎななかった。これはいかがなものかなあ。このシーンは男として育てられた沖田が力尽くで「女」にさせられ、それと裏腹にその後否応なく「人殺し」の道を歩まされるきっかけの場面だ。
ここを境にして、純朴な男の子が業を背負った女に生まれ変わる。そして何よりも、松井玲奈が舞台上で衆人環視のもと、陵辱されるというシーンだ。これを見せずして何を見せるというのか。
ここでブレーキを踏んでしまったら、女優松井玲奈の沽券に関わるんだがなあ。
事務所が許さんかなあ。
女優松井玲奈。
板の上の彼女は、まだどこかしら生硬で遠慮がちだったようでもある。殺陣だってまだまだだった。なに、殺陣の巧拙などどうだったいいのだ。彼女には同年代の女優が逆立ちしたって叶わない「劇場」の経験がある。
臆するな。前向け。松井玲奈。