誰かのために9 | Commentarii de AKB Ameba版

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AKBとかその周辺とか

 4年めの3月11日。

 当選しないだろうな、と思いながら応募したのだけれど、やはりダメでした。
 まあいつか呼ばれる日が来るでしょう。5年めか、10年めか。
 AKBと呼ばれる運動体が続く限り、この日は特別な日であり続けるでしょう。

 4年前。
 あの頃、僕は駆け出しのヲタでした。

 一人一人、メンバーの顔と名前を憶えていくのが楽しくて仕方ありませんでした。まるで新しいガールフレンドが増えていくような気分。
 とびきりのベッピンさんじゃないけど、それぞれ個性があって気のいい女の子たち。

 2011年3月11日、僕は館山界隈にいました。
 そう、「会いたかった」PVのロケ地。
 ダンスショットを撮影した灯台、麻里子さまたちがお茶していたカフェ、高橋と優子さんが駆け抜けた線路沿いの道と駅、そんなところを巡礼していました(仕事のついでに、ね)。

 昼過ぎ、何の問題もなく船で東京湾を渡り、高速道路でオフィスに戻りました。海は穏やかで、道はスムースに流れていました。
 デスクに座って仕事に取り掛かった午後3時少し前。
 
 揺れがすんだ後、オフィスのテレビに映っていた、空からの光景。
 海が陸をのみ込んでいく。家、畑、自動車、そして人を。

 それからの日々、直接被災したわけでも、身内やともだちを失ったわけでもなかったけれど、見上げた空からたくさんの剣がぶらさっているのが見えるような、不安な日々でした。その間、僕はバカみたいに彼女たちの曲を聴きながら過ごしていました。
 そうすることでやっと心の平安を保っていたのかも知れません。

 「誰かのために」。
 身内でも恋人でも友人でもない、それどころか一生会うことのない、ただ「人間」という属性を共有するだけの、どこかの「誰かのために」。
 今にして思えば彼女たちが歌う、その歌に込められた思いに支えられていました。
 感謝をしなければいけませんね。

 4年めの今日。
 我が敬愛する松村先輩は宮城に、最近会ったばかりの岡田(奈)と西野と岩立と彩希は岩手や宮城に行っています。
 僕らの代わりに、僕らの知らない「誰かのために」。