きっかけは忘れたが、先日、急に森田童子が聞きたくなった。
CDは『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』しか持っていないので、当時買ったと記憶しているレコードを探してみたが、セカンド・アルバム『マザー・スカイ』しか見当たらなかった。
見当たらなかったといっても、買っていないのかもしれないので何とも言えないが、確か、何枚か持っていたような気がしていたからだ。
やはり、記憶違いだったようだ。
それくらい、ずっと聴いていなかったということでもある。
カセット・テープで録音していなかったかなと、これまた探してみると、デビュー・アルバムの『GOOD BYE グッドバイ』とサード・アルバム『A BOY ア・ボーイ』、そしてライブ・アルバム『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』の音源が見つかった。
当時、友人から借りてカセットに録音していたのだろうか、それにしてもなぜセカンド・アルバムだけレコードで持っていたのかは、自分でも不思議だ。
とりあえずカセットを聞いてみようと取りだしたらビックリ。
なんと、自分で録音したと思っていたカセットは、正規のミュージック・テープだったのだ。
なぜ、こんなものを持っているのかもまったく思い出せない。
で、自分で録音した他のテープを聴いてみると、テープの残部分に、当時、小室等のFM番組に出演したときの彼女の肉声が録音されていた。
途中からなので、どんな質問に対する答えなのかわからないが、こんな内容である。
森田:「・・・あたかも、自分が作った曲の中にね、入りこんで、ほんとにあったかのようにね、歌えてね、うっすら涙が滲んだりもする。瞬間的にね、神を見ると言ったらオーバーだけど、なんかこう救われたような気になって、その何分かの酔いしれる部分がすごくいいんですよね。それが自分であるか何であるか、それはわからないけど、なんか、ものすごく自分勝手な宗教みたいな気もするんだなあ・・・。自分が、そう、ものすごく自分が、ものすごく満足したいためのね、宗教を毎日作ってね、それを唱えてね、自分だけ酔いしれているのかも知れない。」
小室:「自分勝手に酔いしれている部分から、ひとつ、はみ出しているようなものを感じるときにね、僕たちやみんなは、より感動するのかもしれないね。」
なんとなく、彼女が「歌う」ことの本質を語っているように感じた。
森田童子は、学園闘争の最中に高校生活を送り、友人が逮捕されたことをきっかけに1970年に高校を中退。
1972年の夏、ひとりの友人の死をきっかけに歌いはじめたらしく、その友人をモチーフにした曲が「さよならぼくのともだち」で、デビュー・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』(1975年)に収められている。
カーリー・ヘアーにサングラスという風貌からはギャップを感じるくらいの繊細な声で歌う内容は、独特の世界観を有している。
プライベートな部分はほとんど公にしていないことからも、常にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。
彼女の歌には「別れ」に関するものが多い気がする。
それは、「友人」との別れであったり、「青春」とのそれであったり、時には「死」であったりする。
それは、「君」や「あなた」、そして「ぼく」が形成するごく限られた世界にしか生きられなかった「ぼくたち」を綴っていて、時に「共感」さえも拒絶するように響いてきた。
10年近く活動した後は、あっさり引退して、その後は表舞台に立つことはなかった。
最後は、「時代」との「別れ」を自ら感じ取ったのかもしれない。
レコードが特に売れたわけではないが、活動を止めてからの1993年テレビ・ドラマ「高校教師」の主題歌に「僕たちの失敗」が採用され、一躍脚光を浴びた。
このドラマを見てから、彼女を知ったという人も少なくないだろう。
森田童子は、「僕たちの失敗」が遅ればせながら大ヒットし、彼女の魅力が注目された後もファンの前に顔を出すことはなかった。
2018年、残念ながら彼女は亡くなってしまったが、まだ「僕たち」はちゃんと「別れ」を言えていない。