職人時代のことなど | デラ☆とよまるのブログ

職人時代のことなど




今回の個展で

湘南台画廊の山本さんがことあるごとに

「豊丸さんは凄い技術を持っていて
リトグラフの技術は日本でも5本の指に入る人なんですよ!」

つうセールストークを使っていたので


すっかり忘れていた

職人時代のことを思い出した。



元リトグラフの刷り師をしていた自分としては

刷りの技術は上手くて当たり前。


ことさらアピールされる方が逆に恥ずかしかったりする。


が、上手くて当然と言い切れるのは

それなりの修行をしてきたからである。





自分のが最初にコンビを組んだ先輩の職人さんは

とても昔気質の人で

まったく何も教えないけど
失敗したら怒鳴る


というタイプの人だった。


自分はその人の下で
1年半の間
掃除などの下働きと簡単な作業と

後は怒鳴られるのだけが仕事だった。



自分は大学院まで進んで版画を研究してきた訳だし

そこそこ刷りには自信があったから刷り師の道を選んだ訳である。




なのに

何もやらせて貰えない上に

理不尽に怒鳴られ続ける

という日々だった。




簡単な作業しかやらせて貰えないのに

その簡単な作業も一度ミスると1ヶ月ぐらいやらせて貰えなくなる。




ミスと言っても

このぐらい、何の影響も出ないでしょ?
ちょっと神経質過ぎない?

ということがほとんどだった。





自分は元々かなりおおざっぱな人間で

それまでB型以外の血液型に見られたことが無かった。(実際にB型なのだが。)


しかし、この1年半の間に徹底的に細かいことを叩き込まれたせいか

それからA型に間違えられることが多くなった。笑







んで、1年半経って漸く製版を任せられるようになり

色出しを任せられるようになり

3年経ってようやく全てを任せられるようになった。



全てを任せられるようになって感じたことは

前時代の職人達は勘と感覚に頼り過ぎていないか?

ということであった。



色の指示一つにしても

「気持ち強く。」

とか

「もうちょい紫で。」


という曖昧な言葉使いをする。


気持ちって、どんな気持ちなんだよ?

紫って、赤と青が何対何の紫?



一事が万事そういう調子なので、意志の疎通が上手くいかずにやり直すことがしばしばだった。



リトグラフは湿気と気温に大きく左右されるので

季節によってインクの硬さや水の量などは日々の状況によって変えねばならない。

それらも全て職人の感覚任せだった。


一つの仕事を完璧に覚えるのに最低一年、四季を経験せねばならない訳である。


感覚を養うのにそんな無駄な歳月を費やすのなら

一年分のデータを記録したノートでも作って

マニュアル化すれば良い。


自分はそう考えた。








長くなりそうなので一回切ります。


合掌