まずは、前回の記事の続きの話
別の寺へ行く予定だったけど、妙顕寺へ行ったと書いたが、
その別の寺とは、本法寺
この妙顕寺や、本法寺のある辺り、表千家と裏千家の宗家の庵が並んでいる
実は、の話を言うと、この3月まで、仕事で表千家に出入りしていたので、
この辺りは、バイクかでしか来たことなかったけど、
まさかで、付近をウロウロする日が来るとはね
さて、本法寺
嫁の目的は、この特別展示
この仁王門の前には、草履が
何だかよくわからん
この仁王門に入ると、境内のすぐ横に摩利支天の神社がある
・・・さすがに、神社の中に寺があるというのは、見たことないね
光悦が植えた松とあるが、そんな樹齢なのかな
長谷川等伯の巨大な佛涅槃図(ただし、今回はレプリカ)や、光悦の茶碗等の作品は
開山堂(の人が写っている画像)の中で行われていたのが、
、
この切り絵師が、またしゃべり続ける・・・
実は、元陸自で、こんな切り絵も
話を聞いていて、彼の国は、C国と呼ぶのねの実感・・・
メインとも言えるのが、光悦作の巴の庭
パンフレットには、このような説明が
そして、実際は
巴って、はっきりわからないのね・・・
そして、御主題
直書きの御朱印や御主題だと半紙を挟んでくれるところが多いが、
嫁がもらったのは、
いつまでもお元気で、と言われると・・・
さて、本題の「パイパー戦闘団の戦い」
ブログタイトルにある私のサイト、Schutsgeist_88のコンテンツの一つとしてあるが、
地図を付け加えて、もう少し、詳細にしてみようかと思う
このブログで元記事を再構成しながら、最終的にブラシュアップしたものを
サイトへ再掲載しようかという魂胆である
まず大前提から
1944年12月16日に開始された「ラインの守り」作戦が行われた地域は、
アルデンヌ地方と呼ばれるこの地域は、言わば森林地帯であるが、
第一次大戦の時、そして1940年の対仏戦の時にも
ドイツ軍が突破に成功している地域である
この地域を更に拡大すると
ルントシュテット攻勢、アルデンヌ攻勢と様々な呼ばれ方をしているが、
1944年12月の攻勢で最終的に戦線がバルジ(突出部)のような形になったのが、
バルジの戦いと呼ばれた所以とは、周知のことである
全体像は、他に任せるとして「パイパー戦闘団の戦い」ということで、その経路を追う
攻撃部隊のうち、第6戦車軍SS第I戦車軍団には、
SS第1戦車師団「ライプシュタンデルテ・アドルフ・ヒトラー」
SS第12戦車師団「ヒトラー・ユーゲント」
第12国民擲弾兵師団
第277国民擲弾兵師団
第3降下猟兵師団
の5つの師団が配属されていた
SS第I戦車軍団には、下記のようなA~Eの5つの進撃ルートが予定されていた
・・・フリーハンドで、正確さには欠けるが
ロルバーンA
SS第25装甲擲弾兵連隊第1大隊
X印は、シュテッサー作戦が行われた箇所で、同作戦と連携するとされた
シュテッサー作戦については、別の機会に書いてみよう
ロルバーンB
ミュラー戦闘団
(SS第25装甲擲弾兵連隊第2および第3大隊、SS第121駆逐戦車大体、砲兵1個大隊、工兵1個大隊)
ロルバーンC
第一波 キュールマン戦闘団
(SS第12戦車連隊、SS第560駆逐戦車大隊、SS第26装甲擲弾兵連隊第3大隊、自走砲一個大隊、工兵一個大隊)
第二波 ブレーマー戦闘団
(SS第12装甲偵察大隊)
第三波 クラウゼ戦闘団
(SS第26装甲擲弾兵連隊第1および第2大隊、砲兵1個大隊、ロケット砲1個大隊、SS第12戦車師団の対空砲と工兵部隊の主力)
SS第12戦車師団司令部もこのルートを使うとされていた
ロルバーンD
第一波 パイパー戦闘団
(編成は、サイトのパイパー戦闘団・部隊序列を参照されたし)
第二波 サンディフ戦闘団
(SS第2装甲擲弾兵連隊ただし第3大隊はパイパー戦闘団に配属、砲兵1個大隊、SS第1戦車師団の対空砲と工兵部隊の主力)
SS第1戦車師団およびSS第I戦車軍団司令部もこのルートを使うとされていた
ロルバーンE
第一波 ハンセン戦闘団
(SS第1装甲擲弾兵連隊、SS第1駆逐戦車大隊、砲兵一個大隊、工兵一個中隊)
第二波 クニッテル戦闘団
(SS第1装甲偵察大隊)
続く・・・