9月から毎日4時間程度の残業をしていたような気がするのですが、覚えていないのです。

何をやっていたのか。


手帳にはびっしりと予定が書き込まれているのに、覚えていないのです。


何をしていたらそんなに忙しいのか。


私は何をしていたのでしょうか。


どうしても思い出せない。


断片的な記憶しかない。


忙しいという字は「心を亡くす」と書きます。


忘れるという字も「心を亡くす」と書きます。


でも両者には決定的な違いがあります。


忙は「亡くされる」、忘は「亡くす」


忙しさにかまけて自分を亡くしてしまってはダメだと実感しました。

人はこれまでの経験をもとに、これから起こるであろう事象を想像したり予測したりすることができる。

だからこそ、ときには人はやる気になったり、ハッピーになったりすることができる。

でもそれが決してその人にとっては『よい』ものでなかった場合、その悲しみや恐怖を増幅させる場合もある。


うつの再燃であったり、再発もその良い例であるような気がしている。


うつは再発(再燃)しやすい病気であると言われている。


快方に向かっている患者の多くは、うつの苦しさからの解放を喜ぶ一方で、常に再発(再燃)を恐れているのではないかと思う。

かくいう私もそうだ。


2年強の休職の後、復職をすることができた喜びは今でも忘れていない。


でも人は残酷だ。

良くなればなるほど、うつの辛さを忘れていく。

自分はうつと共にあるという事を忘れていくのだ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるとはまさにこういう事なんだろう。


自重していた復職後1年は静かに過ごしていたが、ちょうど半年前あるプロジェクトに抜擢された。

今思えばそれもおかしな話なのだが、私はとても嬉しかった。

時同じくして、レクサプロの服薬が停止された。


ニワトリと卵論になってしまうが、とにかく仕事に没頭した。

これこそが私の悪いクセなのだ。

睡眠、食事を忘れて仕事に没頭してしまう。


その結果がこれだ。


兆候はあった。


イライラという負の感情が自分を支配するようになった。

些細なことで怒りをぶちまけるようになっていた。

常にチェックをするようにしていた平常時心拍も90を越えようとしていた。

でも見て見ないようにする自分がいる。

さらにはデバイスの着用をしなくなっていた。


見たくないから。


身体中を走る原因がわからない痛み。

ロキソニンを飲んでごまかしていた。

手の甲を真っ赤に覆い尽くす蕁麻疹。

アレルギーを抑える薬でごまかした。


イライラする気持ちは笑顔に変換してごまかした。


全てがごまかし。


会社にいるという緊張感が自分を支えていたけれども、自宅ではそういうわけにはいかない。

完全にごまかすことができなくなった日、大声で泣いていた。


4年前のあの時と同じことをして、また自分のカラダは悲鳴をあげた。


1か月が経ちかなり落ち着いてはきたけれども、それでも波はある。

4年前の自分の状況など覚えていない。

思い出されるのは良い状況ことばかり。

だからそのギャップはさらに大きくなるから、絶望感にも似た感情に襲われる。


自分はこんなはずではなかった。


小さな波にでさえ過剰に反応してしまう。


うつは再発(再燃)する度に症状が悪化する傾向があると言われているが、きっと心のこのネガティブスパイラルが形成されてしまうからかなのからなのかもしれない。


前を見よう。

顔を上げよう。


そう自分に言い聞かせてみようと思う。



ちょっと用事があり、朝から外出。
人を待つまでの待ち時間をカフェで過ごすことにしました。

食事を終えるとそっと差し出してくれたおてふき。
良く見てみると手書きです。

こんなちょっとしたことがとても嬉しく感じます。