しばしば耳にするブラック企業という言葉。

ブラック企業ってなんだろうとふと思った。


私が属する会社は表向き真っ白だ。

金払いも良い、休暇も比較的取りやすい。

生理休暇や出産休暇、男性の育児休暇。

最近など妊活休暇などという休職制度も認められた。


もちろん長期に渡って休職したとしても、休職前の待遇で復職できる。


私の場合もそうだった。


約2年に渡る休職後復職したら、これまで通りの給料が保証された。

職種が異なってもである。


これまで専門職で働いていて、復職後はいわゆる一般職として復帰したのにである。


私が当事者でなかったら給料泥棒だと思ってしまうだろう。


でも本当にこういう待遇がホワイトなのか?


私の属する会社にはいわゆる『アレ』な人が多い。

多くのエンジニアたちは他人がどう考え、どう感じているのかという感覚に疎い。

だから平気で口にしてはいけないことを口にする。

そして超高学歴な人間の集まり(私はそうでもない)のせいか、非常にナルシシズムな人間が多い。

常にトップを走り続けてきた人間たちの集まりだ。


私はと言えば普通、一般的だ。

お勉強は上の下、もしくは中の上。

苦手科目があったため、国立大学は諦めた。

苦手を得意に変えようなんていう熱意はなかった。

苦手な科目はあったけど、感受性は人よりも強いと常に担任から言われていた。

人よりも色の違いを繊細に気づくことができる。

絶対音感がある。

感じる力が私の強みだと思っている。


でもそれって意外と今を生きるには不都合なことが多い。


人が感じていることを読むことが苦手な人間の発言や行動は、私にとっては常にトゲトゲした槍で突かれているようなのだ。


でも私はバカだから相手が満足するであろう反応を無意識にしてしまう。

時には相手が憤慨するであろう態度をわざととることもある。

どちらにせよ相手はさらにトゲを鋭くして突いてくる。


この世は槍を持つ人間と、盾を持つ人間の二種類で成り立っているような気がする。

槍を持つ人間は盾を持つ人間を常に攻撃し続ける。

盾を持つ人間は常に受けの体制を取り続ける。

盾を持ち続けることに疲れた人間は壊れる。

全てを諦めてしまう。


このパワーバランスが崩れた企業が本当のブラック企業なのかもしれないと思う。


獣になれない私たち


このドラマを観ていて、主人公が務めている広告代理と自分の会社が被った。

非常に強いパワーを持つ会社のトップ層。

盾を持つことをやめた従業員。

盾をもって勇猛果敢にやり合ううちに疲れてしまった主人公。


あの社長をもう少しインテリジェンス(感情をむき出しにしないタイプ)にしたような人を私は知っている。

あんな人が会社に何人もいたら耐えられますか?


電車が怖いと感じるあのシーンは、自分と被ってしまった。

(どうせなら見た目も被りたかったけど…。)

雨の日のようなアンニュイな日は意外と好き。


雨が降っているからだろうか、街を行き交う人のテンションは低い。

そりゃそうだろうというかもしれないけれど、晴れている日の方が人のテンションの高低の差は大きい。

そのギャップが争いを生んでいるような気がしてならない。


怒りの感情は大きなエネルギーを必要とする。

そもそもそんなエネルギーさえ生まれないような雨やくもりの日はみんなおとなしい。


自分自身のパワーレベルが下がっているから他人など気にしていられない。


電車に乗っても、やれ肩が当たった、やれカバンが邪魔だなどの小競り合いも雨の日は比較的少ない。

(一部の交感神経高ぶり系な人たちは別として…)


この全体的にフラットな環境はとても私は好きだ。


街を行き交う人たちの棘は先が丸まっている。


こんなシトシト雨が降る冬の日は鬱陶しいけれども、なぜだか心地よいと感じてしまう。

急に真冬になってしまいました。

少し前に読んでみた『うつぬけ』の作者の方は気温の急激な変化に弱いと言ってました。

幸いなことに私はそれほど気温の変化に対しては敏感ではないようです。

私にとって何がトリガーとなっているのか、それをずっと考えています。
トリガーとなるものを自分で知ることである程度コントロールできることも増えてくるのではないかとそう思うのです。

完全に避けることができなくても、そういう心持ちでいるだけでも変わるのかなと。



生きにくさを感じたことがない人はいないと思いますが、生きにくさを感じない日が無いという人はどれだけいるでしょう。

いつの頃からだったか、1人でいることの方が心地よいと感じるようになっていました。

女友達はいつも表面上の付き合いだけで、すぐに裏切る。
そうやってニコニコしていても、ほかの友人の前では私に対する愚痴。
それを人伝えに聞くのは辛かった。
だったらなぜ私を仲良くしようとするのだろう。

男友達は気がつくと一線を越えようとする。
恋愛感情などそこになかったとしても、その場は甘い言葉を囁く。

どこかで悟ってしまった。
女同士であっても、男女であっても友情なんてないんじゃないか。

知らず知らずのうちに人との距離を必要以上に大きく取るようになっていた。

いわゆるパーソナルスペースと言われるような物理的な距離ではなく、心理的な距離を大きく、大きく取る。
相手がその距離を縮めようとすればするほど、私は無意識に逃げるようになっていた。

LINE、Facebook世の中に人と人を繋げるツールが増えてくればくるほど、息がつまりそうになる。
社交辞令的に行われるLINE交換やお友達申請。

ある時、ふとした繋がりができた友人とLINE交換をした。
いつもの通り社交辞令としか捉えていなかったのでそのまま放置していた。
数日後、その友人からメッセージが届いた。
驚いた。
何を返していいのか全く思いつかなかった。
その結果「元気だよ」という一言を返すまでに数日かかった。

そのやり取りは今でも話の話題に上がる。
「構えすぎなんだよ」
毎回そう笑いながら言われる。
ダメならダメでいいじゃん。繋がり続ける人とはどんなことがあっても繋がってるし、そうで無い人は毎日一緒にいても切れるものらしい。

人と人との繋がりはそういうものらしい。

これまでの私の繋がりは切れるべくして切れているし、それは私にとってはそういう出会いなんだという。

この歳になって家族以外に、少しの女友達と、性の壁を超えた(と思われる)男友達が1人できた。

幸せなことだと心の底から感謝しています。