一番思い出したくない感情のひとつがこれだと思う。
友人からの相談を聞いていて一気にフラッシュバックした。
多分倒れる寸前の時期だったと思う。
朝夕の通勤時間に度々人身事故で電車が止まった。
アナウンスが入るたびに、またか…と思っていたのだけれど、いつの頃からか羨ましいなと思うようになってきた。
でも死にたいと思うわけじゃない。
辛いと感じているわけでもない。
なんでだかわからないけど、羨ましいと感じるのだ。
電車がホームに入ってくるたびに、その先頭車両をじっとみつめる。
乗らなければいけない電車に乗らずに、ずっとそれを繰り返している。
今思えば正常な精神状態ではなかった。
でもふとした瞬間に、乗らなきゃと我に帰る。
帰宅時はそんな事はなかった。
地下鉄だったか、ホームが狭い路線に乗った時、自分とすれすれの距離に電車が走っている。
後一歩前に踏み出せばと思ったとき、急にリアルな恐怖に包まれた。
それ以来、壁や柱に背中を密着させるようになった。
死にたいと思うのは無意識、死にたくないと思うのは自分。
その意識の葛藤の中で戦うのは辛かった。
死にたいけど、死にたくない。
この究極の相反の中でどうすればよいのかわからなかった。
その後、医師から死にたいと思った事はあるかとの質問に「いいえ」と答えたのは自分の顕在意識。
当時の自分の曖昧な思考状態で、死にたいという感情に蓋をしていたのかもしれない。
うつの希死念慮は怖いと思う。
死にたいという感情は自分の意識が起こしているものではないかもしれないから。
友人からの相談を聞いていて一気にフラッシュバックした。
多分倒れる寸前の時期だったと思う。
朝夕の通勤時間に度々人身事故で電車が止まった。
アナウンスが入るたびに、またか…と思っていたのだけれど、いつの頃からか羨ましいなと思うようになってきた。
でも死にたいと思うわけじゃない。
辛いと感じているわけでもない。
なんでだかわからないけど、羨ましいと感じるのだ。
電車がホームに入ってくるたびに、その先頭車両をじっとみつめる。
乗らなければいけない電車に乗らずに、ずっとそれを繰り返している。
今思えば正常な精神状態ではなかった。
でもふとした瞬間に、乗らなきゃと我に帰る。
帰宅時はそんな事はなかった。
地下鉄だったか、ホームが狭い路線に乗った時、自分とすれすれの距離に電車が走っている。
後一歩前に踏み出せばと思ったとき、急にリアルな恐怖に包まれた。
それ以来、壁や柱に背中を密着させるようになった。
死にたいと思うのは無意識、死にたくないと思うのは自分。
その意識の葛藤の中で戦うのは辛かった。
死にたいけど、死にたくない。
この究極の相反の中でどうすればよいのかわからなかった。
その後、医師から死にたいと思った事はあるかとの質問に「いいえ」と答えたのは自分の顕在意識。
当時の自分の曖昧な思考状態で、死にたいという感情に蓋をしていたのかもしれない。
うつの希死念慮は怖いと思う。
死にたいという感情は自分の意識が起こしているものではないかもしれないから。