ワタシの最大のコンプレックスと言っても過言じゃないのが学歴。
いや、今まで感じたことが無かったけど、ここ数年で急激に感じるようになった。

もしかしたら学歴ではなく、ものすごい勢いで成長する後輩達に対しての焦りなのかもしれない。

一応、首都圏ではそこそこの知名度、レベルの学校を卒業しているけれど、私学だ。
ワタシの職場は帝大系が主流。

90%以上が大学院卒。
ワタシは学卒。

学卒でうちの会社に入ってくるんだから優秀なんですよ

という声と同じくらい、
やっぱり学卒は学卒だな。
私学だし、甘いよな。

と言う声も聞いた。

イマドキと思う人もいるかも知れないけれど、これが現実。

出世も同期から少しずつ離され、出産後もう手の届く範囲にはいなくなった。
唯一近い位置にいるのは、やはりメンタルを崩し、一度ドロップアウトした同期だ。

ワタシは休職するのが怖かった。
これ以上置いていかれてしまうのか。
元の職場に戻れるのか。
元の職位に戻れるのか。
仲間は今まで通りに接してくれるのか。

何もかもが怖かった。

休みたくないと言う思いとは裏腹に、カラダは出社を拒否する。

行かなきゃ、行かなきゃダメだ
行きたくない、行けない

この相反する思いが交互に押し寄せる。

とある医師にこう言われた。

今の状態のあなたが仕事をしたところで何もできないどころか、余計周りに迷惑をかけるだけだ。
だったら一度勇気を持って休んで、パワーを充電してもう一度トライしてもいいんじゃないかな。
厳しいかも知れないけれど、これが現実だよ。

泣きながら聞いた。
頷くのがやっとだったけれど、何だかホッとした自分もいた。

当時の私からしたら、自分が作り出した学歴コンプ地獄から距離を置けるという安堵感だったのかもしれない。

この時はまだうつ病だと診断されていなかったので、会社に提出した診断書には自律神経失調症と書かれていた。

とある本に、

幸せな人は、良いと思うことに関心を寄せている。
不幸な人は、悪いと思うことに関心を寄せている。

とあった。

確かにその通りだと思う。
自分もおかしくなり始めた頃から、頻繁に何かと自分を照らし合わせ、足りない、足りないと考えていた。
一歩引いて考えれば、ちゃんちゃらおかしい。
まず比較したところで何かが変わるわけでもなく、何かが得られるわけでもない。
でもひたすら比較し続けた。

そして全てにおいて自分はダメなんだと言う結論に至った時、何かがプツンと音を立てて切れた。

ダメだ
自分はダメなんだ
母親としても
妻としても
エンジニアとしても
社会人としても
人間としても

完全に自分を否定した。

自己肯定力を育てよう!
なんて流行りのこの世で、自己完全否定ですわ。

うつ病は心の風邪と比喩されますが、違います。
完全に頭、脳の機能不全です。
人の自己防御機能ではこう言う思考パターンは危険極まり無いですから。

通勤途中で電車に飛び込む前に、カラダの電池が切れたことに感謝せずにはいられません。

何があっても、どんなにつらくても自殺はダメ。
残されたものの悲しみを考えればできないものだし、自分で死を選ぶというのは思考が正常に機能していれば到底できないものであるはず。
でも機能不全を起こした思考では何が正しくて、何が間違っているのかわからない。

だからワタシはまず、

絶対に死を選ぶことはしない

と強く心、いや、自分の壊れた思考に言い聞かせました。

胎内記憶を研究されている、小児科医の池川明先生の言葉です。

親から無償の愛を与えられるも
虐待された上で命を落とすも
全て自ら選んでこの世に生を受けていると言います。

別のとある本でも、全て自分の人生をあらかじめプランニングした上で生まれてくると。

息子は私とは間逆の性格をしています。
とにかくどうすれば面白くなるかを常に考えて生きているようにも思えます。
ひとりでも何かしら面白い事をしてみては、楽しそうにしています。

何かしでかして叱られてしょんぼりしていても、自分の中で消化した時点でテンションが戻ります。
だから、どんなに強く叱られても引きずることがありません。
いわゆるストレス耐性が高いのでしょう。

朝、登校時に最寄りの駅まで歩いて行く彼に同行し、散歩をする様になってから、調子が悪いなりにも動ける様になってきました。
多分、片道20分位ですが、寄り道してみたり、歌を歌っている姿が面白くて笑ったりしているからだと思います。

日中、ひとりでぐるぐるになりながらも、学校から息子が帰ってくると、自然とその彼の可笑しな行動を目にすると笑うという感情が出てきます。
笑っているうちに少しずつ動こうと言う気が湧いてきます。

夫と息子の掛け合いも漫才を見ているかのよう。

きっとワタシは彼に助けられているのだろうと感じています。

細かいことは気にしない、ワカチコな生き方もありなんだろうと思い知らされます。
周囲の人間に対する心配りも大切だけど、自分が壊れてしまってはどうしようもない。

自分が幸せ、楽しいと感じられるからこそ、周りの人にもそう感じさせることができるということを痛感しました。