お金は信頼(信用)を数値化したもので、信用を気づくことができれば、お金を稼がなくても、お金を持っている人からごちそうしてもらえたり など生活していくことができる
だから、極端にいえばヒモとして生活している人の中にはすごく信用力のある人間もいる と。
でも、一時期はやったネカフェ難民なんかは、飯や住むところを提供してくれるような人脈を作ってないから、ネカフェしか行くところがなくなってしまう。
じゃあ、ヒモとネカフェ難民の差は何かというと、やはりコミュニケーション能力であり、多くの人は嫌われることを恐れて人と交わる機会を意識的に少なくしたりしているために、いざという時に頼れる人なんかいない
最近読んだ本の一部分です。
ここでいうコミュニケーション能力って、就職活動の際の「企業が学生に求めるものアンケート」とかで言われるようなコミュニケーション能力とは別のもののような気がするのですよ。
就職活動のときに求められているのって、用はいかに使いやすい人物であるか だと思うわけです。
上司:「飲み会いくぞ~」
部下:「自分、飲みニケーションとかはちょっと・・・(汗)」
とかって言う人ってその部署の雰囲気を悪くしたりしてしまうので、使いづらい人間ってことになっちゃうんですよ。
だから、就職活動の時に求められてるコミュニケーションって「やれと言われたらやります」
「飲むぞと言われたら飲みます」 って感じだと思うのですねぇ。
これって言われてみれば受身のコミュニケーション能力であっていざという時に頼れるほど太い人間関係を作るようなコミュニケーション能力ではないと思うのですよ。
職場を退職した後も、元同僚と交流を続けている人ってどのくらいいるんだろうと考えてみると、職場のコミュニケーションって ”うわっつらの極み” みたいなカンジするんですよねぇ
※あくまでも個人的な意見ですが
それに比べて、能動的なコミュニケーションってどんなもんなんでしょ
それって、やっぱり本にも書いてあったように人に嫌われることを恐れたり、人からどう思われるかといったことを越えた先にあるもんだと思うんですよねぇ。
前の例でいえば、会社以外での場面(友人同士)では
A:「飲みにでも行く?」
B:「オレ、酒あんまり飲めないんだよね~」
A:「まじか!! 実はおれもそこまで好きなわけじゃないんだよ、じゃあふつうに飯でも食いますか~」
ってことになるのって普通のことだと思うんですよ。
友人だからこんな会話ができるんでしょうか?
こんな会話ができるから、今でも友人と呼べる関係なんじゃないんでしょうか?
でも年を重ねれば重ねるほど(サラリーマンとしてなのか?関係ないのか?)、素直に自分の感情に従って断ったりすることって難しくなってくると思ったりもしています。
自分の感情をストレートに出すことって 「こいつとはあわねぇナ」 と思われて人が離れていくリスクもありますけど、 「こいつとはなんか気が合うんだよな」 っていう出会いもたまにはあるわけですよ。
なんてウダウダ考えてみたんですが、結局、コミュニケーションに正解なんてないんだな~
なんてどうでもいい結論に着地しましたよ と。
あと、
親友と呼べる人って小学生くらいの頃からの付き合いだ ってことって結構多いと思うんです。
そう考えると、大人になるに従ってコミュニケーションって下手になるのかもしれないな~なんて。
信用を金に換えることで生きていける子供から
稼いだ金を信用力として生きていく大人に
進化したんでしょうかねぇ
退化したんでしょうかねぇ