「好きなタイプはやさしい人です」なんてよく聞きますねぇ。


やさしい ってどういうことなんでしょうと考えてみましたよと。

相手が弱っているときに相手のそばにいることでしょうか。

相手が愚痴を言いたいときに黙って聞いてあげることでしょうか。


こういうのが優しさだとすると

やろうと思えばだれでもできるわけで、いつでも優しくなれるってことなんじゃないか と。

優しさってのは常に持ってる性質ではなく、今日は優しかったけど明日は全然優しくないなんてことも起こったりするのではないかと。


んで、上記ような「やさしさ演技」はその人が常に持ち合わせる「優しさ」とは別のものだと思ってたりするおいらは、 優しさはその人の器の大きさ であると思っていたりするんですねぇ。

器の大きい人 って人を 「許せる」 人だと思っていたりします。


なので、おいら的には 許せる人 が やさしい人 なんじゃないかな~と。


許すのは演技ではできないことだと思ってて、許す人が許される人をどう思っているかがすごく大きなことだと思ったりするわけです。


許すことができるのは、許す人の強さも必要だと思ってて、

ハンムラビ法典ってのがあります。

みんな「目には目を歯には歯を」って言葉で知ってるかもしれませんが。

これは目をつぶされたら目をつぶし返すというやられたらやり返す的な意味で使われてたりします。

これは、人が人を許すことが難しいことを表しているんではないかと。


それどころか、許すどころか「恨みは何倍にもして返したい」ってことにもなったりします。

「目には目を・・・」の本当の意味は目をつぶされたら目をつぶし返すだけにしましょう ってことなんです。

目をつぶされたから目をつぶし返し歯も折ってやりました ってのはだめですよ。って意味なんです。

それだけ恨みはすごいもので殺人の動機なんかもほとんどが怨恨なんじゃないかと思ったりします。(ググったけど答えは見つからなかったけどw)、それを中和できるほどの優しさをもった「許し」を持っている人は強いってことです。えぇえぇ。



許される人との人間関係によってやさしくなれるのならだれに対してもやさしいってのはありえないと思ったりします。

やさしい人が周りにいる人は やさしい人がいる のではなく その人をやさしくしているあなたがいる んでしょう と。


なので、優しい人が好きではなく、「おいらとあったからにはお前はやさしい人になれるよ」 っていうセリフを使うようにしましょう と。

何をしても許される人ってのがいたりするのは、その人が許される才能を持っているからだと思ったりしましたよ と。

許される人間は、許される中で 許すことができる人間になるような気がしたりしたんです。


なんか、何が言いたいかよくわかんなくなってしまったおいらが言いたいのは

「許すことができるなら、その人間は強い」

「許されることができるなら、その人間もまた強くなる」



おいらは何となく生きています。

特に何かを目指すわけではなく、何かやりたいことがあるわけでもないんですねぇ。


そんな人はどうしたらいいかと考えたです。

で、とりあえずたくさんの人と会うことだと思ったりしたんですねぇ。


生きているとたまに人の生き方を変えてしまう人がいたりするんです。

おいらはドラマの「仁」を見ているわけですが、東という侍が兄を殺した坂本龍馬への復讐を誓っていました。でも、龍馬と接するにつれて「もういいですよね。兄さん」ということになったりするわけです。


人の生き方を変えてしまうような人は実は少ないんでしょうか。

実はすべての人が誰かしらの人生を変えていると思ったりしています。えぇえぇ。


たとえば、皆誰かの子供であるわけですが、自分が生まれてこなければ親は自分を養ったり、成長を喜んだりすることはなかったはずなんですねぇ。


なわけで、誰もが誰かしらの人生を変える人にはなっているわけで、自分が付き合ってるすべての人が自分の生き方を変えてしまった人であるわけなのですが、それを意識する機会はほとんどなかったりするわけです。

だもんで、自分の人生を変えた人。を聞くとほとんどの人があまりピンとくる人が思い浮かばなかったりするんでしょうと。


ということで、一人の人と出会うことはまたひとり自分の生き方を変えてくれる人が現れたってことだと思うんです。

たくさんの人と会って自分の生き方を変えてもらおう。ってのは都合がいいようにも思えたりしますが、あなたと逢うことで相手もまた人生を変えることができるんです。


何か成し遂げることを目指して生きる生き方を求めてはいないおいらですが多くの人と出会うことで、何か成し遂げたいことが出てきたりするかもしれないなんて考えたりしているんですねぇ。


生き方を変えるってことは考え方も変わっていくってことだとおもうんで。えぇえぇ。


久しぶりに会った人に「お前は見た目も中身も全然変わってないな~」といわれたりしたら、自分の人生を変えてくれる「出会い」が足りなかったりするのかもしれません。


変わっていくことがいいことなのか悪いことなのかは別として、日々新しい考え方や新しい人生を提供してくれる様々な人と出会うのは、けっこうおもしろいことなんじゃないか と考えたりした夏の夜。




組織にはリーダーがいます。


で、リーダーってのはどんな人なのかどんなひとがむいてるのかってのを考えてみたですよ。

会社だと社長がリーダーのポジションだと思うんですが、実務にはあんまりかかわらない人が多いかもしれない気がするんですねぇ。


たとえば、吉野家の社長が店舗で牛丼を売っているのは見たことがないと思います。(キャンペーンとかで特別にやったりはしたかもしれませんが)


で、このリーダーというポジションの人。

普通の従業員よりは多くの給料をもらっている場合が多いです。


ということで、「牛丼を売る」という単純な労働ではなく、自分にしかできない付加価値の高い労働をしている人が社長なのだろうと考えられるわけです。


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余談ですが、「給料を上げたいから今の職種のままスキルを上げる」という人がいます。

でもそういう人って状況を把握できてない場合が多いです。

たとえば零細企業ではどんなに実績を残しても大企業の管理職などには給料は到底及ばないでしょう。

だったら会社を変わるべきだということに気づかない。もしくは気付かないふりをする。リスクを言い訳にする。みたいな感じだったりするわけです。

あと、基本的に付加価値の低い労働は給料が安いので、自分以外にできる人が少なければ少ないほどお金はたくさんもらえたりします。

なので、今の職種ではどんなにがんばっても見合ったお金はもらえないだろうということに気付くべきだと思うんです。

じゃあどうしたらいいか?

なんてのはもちろんおいらにはわからないので自分で考えてください。えぇえぇ。

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で、リーダーが「自分にしかできない仕事をやっている人」なのだろうということですが、じゃあどういう人がリーダーに向いているんでしょうか。


カリスマ的な雰囲気を持っている人。

実務上がりで、実務に精通し、的確な指示を出せる人。


いろんなタイプがいると思います。

で、おいらには結論が出せないな~と思っていたら、おいらの大好きな藤沢武夫 が答えを教えてくれたですよ。

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社長にはむしろ欠点が必要なのです。

欠点があるから魅力がある。

つきあっていて自分の方が勝ちだと思ったとき、相手に親近感をもつ。

あの人(本田宗一郎)にはそれがあります。

私の方が欠点は少ないでしょう。しかし、その分私には魅力がない

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て、ことは「自分はだめなヤツだ!!」と思っているひとこそがリーダーに向いているってことなんでしょうねぇ。

ということで、欠点を隠さずにその魅力を存分に発揮していきましょう と。

欠点を見せることで、相手が離れていってしまう様な気がするものですが、きっと、「万人に好かれることは絶対にない」ように「万人に嫌われることも絶対ない」でしょう とおいらは思ったりするわけです。


ちなみに、おいらが藤沢武夫が好きなのは、欠点が少ない自分を棚に上げて得意にならずに「それは同時に魅力がないということではないのか?」と思える人間であるとこです。

藤沢と本田の関係も好きなおいらです。

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「いつも手をつないで一緒にいるのを仲良しとは呼ばない。私達は離れていても、今この瞬間、相手が何を考え、どうするかが、手に取るように分かる。」

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藤沢が引退することを決めた時、直接言わずに、第三者からその意向を伝え聞いた本田の言葉


「二人いっしょだよ、おれもだよ」

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強い組織。

それは上下関係に縛られたものではなく、信頼関係で結ばれたものである。

そんな風に感じた土曜の午後。


「お前は最低だ」
「お前ほど最悪なやつは見たことがない」


長い人生、一度はこんなことを言われたりすることがあるかもしれません。えぇ。えぇ。


で、考えてみたですよ。最低とはどういうことかを。

最も程度が低いってことなんでしょう と。当たり前ですが。


で、この最低って称号を得るのはなかなか難しいことだったりするんじゃないかと考えたりしたわけです。

もちろん
「お前は最高だ」
といわれるのはどんな分野においてもかなり難しいってことは言うまでもないでしょう。


でも、おいらは最低の称号のほうがずっと得るのが難しいと考えていたりします。


それは、目指す人の数の差が大きいと思うのですよ。

人間は多くが、上より下のほうがよい という意識があると思うわけです。
最初に書いたような事を言われると、落ち込んだり、反論したりする人が多いことからもわかることで、
テストの点、給料、ルックス、あらゆるものがないよりあったほうがいいという意識が刷り込まれていたりするわけです。
だからみんな上へ上へ と挑戦を続けます。


上を目指すのは倍率が高く、つらい戦いです。
多くの人が上を目指しますが、最高(No1)には何があっても一人しかなれないからです。
これは、あらゆる人の周りで起こっていることで、英語のテストで俺に勝てるやつはいない なんて考えてても、全国模試では100位だったりするわけです。


反対に最低もなかなかに取れる称号ではありません。
英語がおれよりできない奴なんていない と思っていても、隣の不良学校の生徒はテストを受けずにみんな0点でした~ みたいなこともあったりするわけです。
つまり、最低って言われている多くの人は、最低ですらなく、単なる 低 クラスであるってことです。


最高はみんなが目指して、その結果1位が決まります。
じゃあ、最低はどうやって決まるかというと、「やりたいようにやっていたらなんか最低でした~」っていう形でしか生まれないと思うんですよねぇ。


で、これってすごいことなんじゃないかと。


最近では、好きでコンピュータを作ってたら大金持ちになりました~ って人 とかも多いですが、それと同じくらいに価値のあることなんじゃないかと考えたりするんです。


好きで○○をやっていたら予期せず1番でした~ というのと 何となくやってたら(上を目指して挑戦したら)予期せず最下位でした~ ってのは同じくらい才能が必要なことなんですよ。えぇ。えぇ。

あんまり好きじゃないことを一番になりたいからやって、一番になれました っていうのは、世間的に認められやすい才能かもしれません。
でも、おいらは、好きなことをやってたら結果、一番でした っていうのがホントの才能だと思ったりするわけです。


なんで、
最低だって言われた人たち(ほんとは最低ではなく、最低なんてイヤだ!と思っている人)には「あなたは最低ではなく、低くらいだから安心しなさい」 と。
で、ホントに最低の人には 「最低を目指してやってきたわけでもないのに最低に輝いた。それこそが才能だ」と。


ということで、人に最低の烙印を押す時は、よく考えてほんとに最低なのかをよく考えて、その上で、「お前は俺があったことがあるやつの中で、最低だ」と言いましょう。と。


最近忙しくなってきたりしてきて考えたんですが、忙殺されるのって実はすごく楽なことなんじゃないか と。


何もすることがない っていう状態は、以外と辛かったりします。

それは、「考える時間がある」からだと思ったですよ。


暇を持てあましていてつるめる仲間がいたりすれば、考える時間を娯楽に当てて過ごすこともできます。

でも、就職、結婚、出産など、年を経るに従って周囲の人間が自分とつるんでくれる時間は減ってくるので、一人でできる娯楽(パチンコとかゲームとか)に走ったりして逃げるような状態になったりもするのではないかと。

※逃げではなく純粋に好きだからやってる人ももちろんいると思いますよ。えぇえぇ。


じゃあ、忙殺されるままに考える時間を取らずにすごし続けるとどうなるのか・・・。

おいらは電車通勤なのですが、通勤電車に揺られる中年のおじさんたちを見ればわかりますです。

彼らはある程度大きな会社の中間管理職だったりするのかもしれません。

左手には結婚指輪をして、円満な家庭を気付いているようです。

でも、おいらにはかっこよくは見えません。


なぜなのか。

通勤時間に考えてみたですよ。


忙殺されて考える時間を持てないことは、檻に入れられるようなものだと思ったですよ。


犬で。

1.ペットショップにいる血統書つきの犬は、見た目もかわいらしく、飼い主に買い取られれば、飼い主になつき、「一生一緒に連れ添いますよ。」 と言っているようにみえてきます。

でも、彼らは飼い主が死んでしまったり、何らかの事情で捨てられてしまったりしたら生きていける確率はかなり低いでしょう。

その見た目の良さから、運よく次の飼い主に拾ってもらえました といった道しかないように思えます。


2.最近はなかなか見なくなりましたが、(見つかるとすぐに保健所に入れられちゃうからでしょうか)野良犬。

彼らは、飼い主がおらず今日の餌にありつけるかどうかもあやしいでしょう。見た目もみすぼらしく、飼い主となってくれる人が現れることはほとんどないでしょう。


この犬の例えは、おいらが敵とーに考えたものなのであんまり深く考えないでくださいです。


犬のたとえでおいらが言いたかったのは 生命力 なんですねぇ。

雰囲気でいえば、「どうかわたしを飼ってください。」と「俺に近づくな。ゴルァ」くらいの差があるように見えるはずです。


今の豊かな日本では、2のほうに属する人は、排除しようという思考に行く人が多いかもしれません。

おいらの勝手な主観ですが。


でも、判官贔屓なおいらは、2のつっぱった(突っ張らないと生きていけなかったのであろう)彼らの生命力に心臓をわしづかみにされたような感覚をおぼえるときがあるんです。えぇ。


そんなわけで、 本来の姿 ってのはすごく大事で、本来の姿にあるものは、少なくともごく一部の

(おいらのような判官贔屓な変わり者だけだったりするかもですが)

にはすごくかっこよく映ったりするわけです。


犬の本来の生き方は 

森林から開けた草原へと生活の場を移して追跡型の狩猟者となった食肉類    Wikipediaより

らしいです。

ヒトの本来の生き方は

考える

ってことなんじゃないでしょうか。


動物園にいって ライオン を知ることはできないのではないでしょうか?

毎日忙殺されて 自分 を知ることができないように。