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だいたいおんなじ毎日
そいで まあまあ それなりOK
だけど、なんとなく空見上げちゃうんでしょ?
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何にもないって事、そりゃあ
何でもアリって事
君の行きたい場所へ何処でも行ける
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ROCKET DIVE hide with Spread Beaver


ってことで、人間やることがなくなったらどんな行動をとるのかってのを身をもって体験するべく無職になってみたです。

※変換ミスして思ったけど無職→無色っていいな。何にも染まってない感じで


これからは、先のことをよく考えてなんて言ってる暇があったらとりあえず行動してみます。

何にもないってこと。それはなんでもありってことらしいので。


※本来はもっと中身のある記事だったんですが、投稿したらポップアップブロックに引っ掛かり、それを解除したら、    

  書いていた記事が消えました。頼むぜサイバーエージェント(汗)

ピースボートってドラマを見ているおいらです。


先週のピースボートを見て思ったのは、やっぱり他人の気持ちを理解することは非常に難しいってことです。

んで、その裏には何があるかっていうと、自分が否定されることの怖さだった利するわけです。

Aさんの意見があります。

それとは異なるBさんの意見もあります。


二つの意見がある程度近かったりする場合には両方の意見を認め合うことができるような気がします。

でも、二つの意見が正反対なものであったりすると簡単には認めることができなくなるような気がするです。

ただの、思想の差異の話ならそこまででもないのでしょうが、実際にその思想のもとで自分が何らかの行動を行ってしまっている場合には、より反対意見を認めるのはむずかしくなったりするのですねぇ。

それは、相手の意見を認める=相手の生き方・相手という人間を認めること であり、

相手の意見を認めない=相手の生き方・相手の意見を否定するということになります。


また、相手の意見を認めてしまった場合、今まで信じてきた自分の意見が揺らぎ、ともすれば自分で自分の生き方・自分という人間自体を否定することになってしまうので、多くの人が抵抗を感じるを思うです。


日本は豊かになったといわれます。

昔は、終身雇用の名のもとに、定年まで働き家を買い、車を買うことが「幸せ」だという価値観がほとんどの人に浸透していたそうですねぇ。

でも、最近は、自ら進んでフリーターやニートを選ぶ人もいて、家も車も要りません。って人が増えているそうです。

昔の価値観(誤弊があるかもしれませんがここではそうよばせてもらうです。)の人は、労働は義務であり、その義務を放棄するとは今の若者はけしからん。

と言い、

今の価値観を持った人は、昔のように働き続けても家を買える確証はないし、自由がなくなるのはいやだというでしょう。

この意見は多くのところで言われていることなのです。

おいらは自分がどちらの思想の側に回るとしても、自分の意見だけでなく、相手の意見を聞き、自己否定の感情と闘いながら最善の選択をしていくことができたら ベストなんじゃないか と考えていたりします。


この、自己否定ができるかという側面については、今の価値観を持った人のほうが向いていると思います。

それは、今まで努力を重ねて着ていれば重ねてきているだけ、今までの努力を否定されるのはより不愉快なものとなるからです。

フリーターやニートをやっている人は、ある程度否定されることには慣れています。しかし、この人たちは、「また否定だよ。はいはい。」って感じで終わってしまうことが多い様な気がしています。


そんなことで、おいらが尊敬できる人の要素の一つに自己否定ができる人っていうのを入れてみようと思うです。

自己否定ができる人って、まだ改善や向上」の余地がある人だってことで、進む方向そのものを変えることのできる可能性を持っている人なんです えぇえぇ。

自己肯定しかしない人は、現状維持か、現在の方向に突き進むことしかできないという意味で、修正力がないとおいらは考えていたりします。


自己否定ばっかりしていると生きるのがつらくなったりしそうですが、自己肯定ばかりだと頑固おやじのように硬直した考え方の幅の狭い人間になってしまいそうなので、週に一回自分を否定する時間を設けたりするのもいいかもです。

「死」は大きな選択をする際に助けてくれる重要なツールだ。

なぜならほとんどすべてのこと。外部の期待や自分のプライド、挫折や屈辱への恐れは全て死とともに亡くなってしまうからだ。

って ジョブズ  が言っていたです。

で、実際に死ぬまさにその瞬間にどんなことを考えるのかを考えていたら、面白い文章を発見したのら。


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わたしは かじりかけのりんごをのこして しんでゆく

いいのこすことは なにもない

よいことは つづくだろうし

わるいことは なくならぬだろうから

わたしには くちずさむうたがあったから 

さびかかった かなづちもあったから

いうことなしだ


わたしの いちばんすきなひとに

つたえておくれ

わたしは むかしあなたをすきになって

いまもすきだと

あのよで つむことのできる

いちばんきれいな はなを

あなたに ささげると


谷川俊太郎 「祝魂歌」より
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私には口ずさむ歌があったから。

さびかかった金槌があったから。

のところが一番好きなわけです。


いいことばかりが起こるように今後を祈るのではなく、わるいことはなくならぬだろうから

ってとこもいいですねぇ。


昔あなたを好きになって、今も好きだと。 か。


死ぬ時に何を思うかはわからないですが、90歳以上の人に、「今後悔していることは何ですか」

って聞いたら、「冒険しなかったこと」や「挑戦しなかったこと」って答えが圧倒的に多いらしいです。


だもんで、今現在あるものに感謝しながら、挑戦を続けていきましょうよ と。




久々にドラマの医龍を見てみたです。


んで、考えたのが荒瀬門次 っていう麻酔医の人生です。

自分を責めながら酒におぼれ、実力はあるのにやる気がなくなってしまった男。

悪党を演じ、悪党として責められながら生きていくことを選んだ男。


すごく人間らしい生き方だと思ったです。


こういう生き方をみると、本当の悪党はいないような気がしてきて性善説的な考え方になってくるのはおいらだけなんでしょうかねぇ。

生まれた時から悪党に生れつく人なんていないわけで、育った環境や、これまでの経験なんかで、悪党になっていったんだと思うんですねぇ。


んで、環境や経験次第で悪党を生み出すことができるっていうことは、その逆の悪党を悪党でなくすることも環境や経験によって可能だったりするのではないか と。


不良グループに入るといつのまにか髪が金色になってたりすることもあるわけで、でも、少年院から出てきても更生してないってのは、少年院が悪党を悪党でなくする環境には至っていないってことだったりするのかも知んないです。えぇえぇ。


人がそれまで培ってきた性質をかえるのってすごく難しいことだとは思いますが、一応そういう名目で作られてる刑務所とかはあんまり役立ってないような気がして、構成というより懲罰を目的としたものなのかな~なんて思ったりしたんです。

あと、性質ごとの環境を作って、たとえば明るくなりたい人はこのクラブに入るようにしましょう!!月の会費は〇〇円です、みたいな

科学的にこういった生活を繰り返し、こんな趣味を持つと明るい性格になりやすいんですよ ってのを分析して、性格塾みたいなものをやってみるとかの商売ってやっぱり成り立たないかな~。なんてふとおもったりもしたんです。

結果的にこれだけの人が明るくなれました。とか、どっからどこまでの性格を明るいって言うんだよ ってな難しさもあるので、成り立たなそうなカンジですけど。


悪党についてから人の性質についてたらたら考えてみたわけですが、ドラマとかマンガで面白いやつってたいてい登場人物が興味深かったりするな というのがおいらの印象です。


荒瀬門次。

あえて悪党を演じるという美学。どうですか?

無駄死に という言葉にはネガティブな意味が込められているように感じるおいらです。

みんな頑張って生きているのだから、その頑張った結果が無駄死にではあまりにかわいそうな気がしたりするからなんでしょう。


でも、おいらは無駄死にってあると思っていたりします。


一番の無駄死にのパターンは、負けるとわかっているのに戦いを挑むというものです。

何回か戦えば1回くらいは勝てる相手に対して、ある策を講じた上で挑むのなら、それは愚かではないでしょう。

でも、何度やっても勝てないような無駄な勝負を、「おれは自分の意思でたたかうんだ!!」という強い信念(おいら個人的には負けに行くわけであって、強い信念というよりは、獣的な低能にも見えたりするわけですが)のもとに犬死にする人もいます。

この方法で無駄死にするときは、できるだけ周りに迷惑がかからないように犬死にするようにしないと、残された人にとっても迷惑となったりすると思うので、状況に応じた自爆方法を選ぶ必要があったりするわけです。


で、無駄死にに美学を感じないおいらとしては、負けそうな時にとる一番の作戦は 走為上  だと思っているわけです。


逃げるのは時に無駄死にすることよりも難しい場合も多いと思うんですねぇ。

なぜなら、今の自分と相手の能力差を見極め、戦うことになるであろう場所、自分が取れる作戦、相手がとってくるであろう作戦 などを総合的に分析し、どの程度の確率で勝ちを拾えるのかを考えた上で、逃げるという作戦をとることになるからです。

「負けるかもな~」でもとりあえず突っ込むという ガンガン行こうぜ 的な作戦は、頭を使わなくても運が良かったり、自分の能力が頭抜けていたりすると勝ち続けられたりします。

ってことで、おいらは逃げられる人は無駄死にする人よりちょっと利口な人なんじゃないかとちょっと思ったりしているです。


おいらの個人的な感覚では、日本では逃げることは卑怯なことであり、勝てないときは我慢しましょう!!みたいなことが美徳とされていて、周りからどう思われるかということが、人を逃げられなくしてしまっていたりするんじゃナイか と。


福島の震災で亡くなった方より、年間の自殺者が多いこの日本で、一番身につけるべき能力は

鈍感力やコミュニケーション力なんかではなく、 逃走力 だと思うのですよ。


ちなみにいざとなったら逃げると考えている人も、いざとなった時には、あまりの忙しさや疲れ、精神的な疲弊などによって決断力が鈍り、逃げだすことができないままに、時間だけが過ぎ、自然死するパターンもあるので周りに、「それは逃げたほうがいいね」といってくれるような軍史を持つこともまた大切だったりするかもしれないです。えぇえぇ。


一度逃げると、次から逃げることに対する不安は薄れてくるので、一度目の逃走をいつ経験するかが大きいと思っていたりするおいらです。

とりあえず、逃げる選択は難しいわけですが、作戦として認められている以上、堂々と使っちゃいましょう と。



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※こっからはちょっと不謹慎なので、無視してくれたほうがいいかもです。


「毎日死にたいんです。」っていうような人がいるみたいなんですが、そういう人の自殺を止めるのはなかなか難しいんじゃないかと思うんですよ。

なのでそんな人たちには、死んでもいいけど死ぬ時は無駄死にしないようにしたほうがいいよ というようにしようと思っているおいらです。


なので、死ぬ時は、自分が死んだあとに自分の死をプラスにしてくれるような人を見つけた上で、意味のある死に方をしましょう と。


「ポルナレフ そのセリフはちがうぞ
あだを討つ時というのは『野郎』なんてセリフを吐くもんじゃあない こ う 言 う ん だ
『我が名は花京院典明』 『我が友人アヴドゥルの無念のために 左にいる友人ポルナレフの妹の魂のやすらぎのために』
『死をもってつぐなわせてやる』」


で有名な


花京院典明 の死 のように