よせばいいのに、久し振りに三島由紀夫の「葉隠入門」などを読んでしまったせいで、せっかく「手弱女(たおやめ)」の宣長さんに学んだのに、それが全部吹き飛んで、三島のラジカルな思想に再帰してしまいました(苦笑)。
しかし、三島にしたってそのすべてがラジカルでファナティックな思想の持主というわけではなく、文学などという「なよなよ」(三島本人の表現)したものをやっているのですから、文武両道じゃありませんが、「手弱女ぶり」と「益荒男ぶり」、この両方をバランスよく使いこなすのが保守思想の神髄というものでしょう。
一見したところ、宣長と三島とは正反対のように見えるが、実は二人の距離はそう遠くない。
ここで少し特攻のお話をしてみたいと思います。
私は特攻という作戦を無条件に「外道である」と思うものですから、このお話は一度きりにしたいと思います。
自殺願望者は「死にたい」というのがご当人の願望なのですから、「どうぞご勝手に」の一言で話はお仕舞いなのですが、問題は「生きたい」という人間が「死にたくない」という動物の本能を抑え込んでどう「死」を受け容れていくようになるのか、というのが私の興味あるところです。
それはやはり、「恥を晒したくない」とか、「意地」とか「体面」とかの、本音にすっぽりと被せた仮面のせいではないのか、人間などというものは本心からお国のために、あるいは天皇という仮構の神のために「喜んで死ねる」などと思えるほど立派な生き物ではないのではないか。
という観方には皮相的という言葉を通り越し、あっさり「誤謬である」の一言でお仕舞いとしたい。
特攻隊員の遺書を額面通り読むのは思想の怠慢というものであって、重要なのはむしろそこに書かれていない、死にゆく者の思想的悶着を漢意に頼らずどう読むかということでしょう。
それはつまり死者と対話するということでしょう。
軍の検閲があったからああ書くしかなかったのではないか、といった意見もよく聞くが、それも当たらずも遠からずだろうが、しかし、それでは「聞けわだつみの声」に収録された学徒兵の本音の遺書の存在がうまく説明できない。
なぜ、多くの特攻隊の若者は、最後にもう一度だけ父や母や妻や子供の顔が見たかったと書けなかったのだろう、なぜ、お国のために喜んで死んでいきます、と皆一様に書いたのだろう。
ここで思い出されるのが、先に触れた小林秀雄の「僕らが過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである」という言葉である。
死にゆく者が家族や恋人への未練や、死んでも死に切れぬ思いを遺書に書き綴ったら家族や恋人はどう思うだろう。「十死零生」、どうせ死ぬしかない運命なら、残される者をいたずらに悲しませるのは無意味である。
誰だって死にたくない、しかし、そうは言っても死ななきゃどうにもならない時もある、国防という目的のためには、「生命」という(良く生きるための)手段を、死を予感せざるを得ない激しさにおいて費消せざるを得ない場合もあるのではないか、それならせめて俺の死の意味を見つけてみようじゃないか、と、特攻隊の若者は皆その生と死の葛藤に悩んだのでしょう。
「すべなし」とか「やむなし」とか「無常観」といった「生への諦め」から出てくる死生観と、残される者への慮りが折り重なるように累積し、あの死を恐れない勇猛溢れる遺書に結びついていったのではないか。
これは何も歴史をいじくり回しているわけではない、過去を飾り立てているわけでもない。
死者との対話を通じて得た私なりの結論であります。