まぁ この辺りの経過は

歌手 島倉千代子 の逸話⑥

に以前書きましたのでそちらをお読み下さい

 

手を加えなければいけないものがたくさんありました

2軒の歯科医院は旧態依然としていて ユニット(治療椅子)は20年以上使っているような代物で 全て取り替えが必要でした 内装も数千万かかります レントゲンもCT画像診断装置などはありませんでしたから 新たに買わなくてはいけません

歯科医院2軒の改装だけで1億以上かかるのは明白でした

降って湧いたような歯科衛生士学校の経営にはとても面白さを感じたものの

早晩にやってくるであろう(まぁ これも面白いのですが)煩わしさを考えると

これ以上話を進めることは断念せざるを得ませんでした

 

自力では患者獲得も覚束ない 『三ノ輪歯科インプラントセンター』 

の患者獲得のために もう一つ診療所を開くことが必要と考え

物件探しを続けました

平成23年秋 江戸通り沿いにあったビル1階を借りることにしました

以前の借主は コンビニエンスストア サンクス でした

サンクスがファミリーマートと合併したことで

数軒隔てて店を構えていた両者の店舗は 一つに集約されたのでした

そして ココに 『新日本橋駅前歯科』 を開業しました

投下資金は8000万程度でした

『三ノ輪歯科』 には 

5年間指導してきた歯科医師と 

数か月前に採用した ”かなり我が強い”A に任せて

私は 8月に採用したN と 『新日本橋歯科』 を運営することにしました

朝7:00~夜7:00 ずっと日本橋にいるのですが

三ノ輪歯科の1/5ほどの患者も来ません

必然的に 空き時間の殆どは 営業活動に勤しむことになります

が そんな ”みっともないこと” をやるのは 私だけです

これが1週間 2週間 と続くうちに 

三ノ輪の売り上げが見る見る落ちて来てしまいました

そこで 私だけ 

午前中は三ノ輪 午後からは日本橋 で診療することにして

売り上げの落ち込みを出来る限り支えることにしました

平成25年(2013年)を底に 

三ノ輪の落ち込みは少しづつ上がってきましたが

日本橋は 300~400万/月と 損益分岐点を大きく割り込み 

真っ赤っか という状況でした

同じ時間を費やすならば 三ノ輪に居たほうが効率的なので

数か月後には夕方までは三ノ輪で診療し 

18時からは日本橋となって行きました

平成27年年末には(3000万で)売却してしまいました

(現在の『新日本橋駅前歯科』は医院名を変更していないだけで

私とは全く関係ありません 売却先の(医)日坂会の経営です)

この時はまだ リーマンショックの後遺症を引きずっており

三ノ輪の売上も(いいとは言え)今の半分以下でした

が 平成28年(2016年)からは 息子孝輔と藤田君が診療に参加

コロナ禍の中でも順調に伸びてきました

入れ替わり立ち代わり患者さんは代わっていきますから

診療の内容は同じではないものの 

生活のパターンはここ7年間は殆ど同じです

『停滞は実質的には後退』と思っている私ですから 

このままの生活をずっと続けて行くことに

不満を持つようになって来ました 

新たな展開をしたいなぁ…

そんな時 引き金となったのが 8月4日のあの夜でした

そうです

銀座で勝負せずして死ねようか①

で読んで頂いた あの夜 でした