平成9年(1997年)2月 三ノ輪歯科を開業してから満25年が過ぎました

 

開業したものの 患者数は停滞気味 

下町ですから 保険外治療をやってくれる患者も それほど多くはありません

1000万の借入金が重くのしかかり 多少焦りが出ていた2年後の

平成11年11月 渋谷に居抜きの歯科医院を紹介されました

当初は(正確な譲渡金額は忘れましたが)数百万だったのが

見る見るうちに下がって行って 最終的には30万(だったと思います)でした

7月いっぱいで(賃貸)契約が切れるということで 『ゼロになるよりはマシ』

ということだったと思います

賃貸契約が切れてしまえば譲渡することさえ出来なくなりますからね

そして 7月25日に 物件を紹介してくれた リ・デンタルネットの細野さん

(先代の社長、現社長の父親)と待ち合わせ 物件を見に行きました

「もっと安くするよう交渉しますから購入しましょう」

という細野さんのアドバイスに即断しました

で 結局は(確か)20万で譲渡成立ということになった と記憶しています

分院を購入したものの一人で2軒はできませんから

急いで歯科医師を募集しました

当時は 分院経営に関する確たる信念もなく 

売り上げの底上げ程度のことにしか考えておりませんでいた 

ですから 

歯科医師免許をもっていたらどんな奴でもいい

もう分院をやると決めてしまったわけですからね

そして

歯科医師紹介業者のところで T(当時30歳くらい)を紹介してもらいました

働き始めて1ヶ月もしないうちに

『分院を任せてもらうだけの実力がないこをと知った』

 と辞めることを申し出て来ました

患者と何があったのか…

T自身が口を開かないかぎり分かりませんが

経験値の低いTにとっては 

”ひとりで” 診療することは相当の重圧だったようです

 

そして 次の歯科医を探しました

決まったのはSでした 

経験年数は20年以上と申し分ないものの

(何とも 線が細い男だなぁ…)と感じたのが忘れられません

私との初対面の時には 女房と一緒に現われ 

夫を売り込むマネージャー? 

あるいは

我が子の喧嘩の助っ人に現われた母親(?)の如く 

無気力そうな夫を差し置き口角泡を飛ばし夫を売り込む姿は 

そうそう あの ”ささやき女将” と 息子 のようでした

(”ささやき女将” とは2007年の食品偽装事件で有名になった人)

「主人は先祖から引き継いだ資産を守って行かなければならない

大事な跡取りなんです ですから 歯科医の仕事は 

趣味みたいなもんなんです』 というようなことを話していました

が この男も 2ヶ月と持たずして 退職を申し出て来ました

理由は 『力量の無さを感じて…』ということでした

私の方の技術的要求が厳しすぎたのではないかと思っていますが

まぁ 私よりも経験年数が20年も長いわけですからねぇ… 

何れにしても 根性なしの40代の男の性根(しょうね)を

入れ替えようとしても それは到底無理なこと と思い

次の歯科医を探しました

当時は 日本におけるインターネットの黎明期で

チャットルームが大流行でした

そして あるチャットルームで知り合ったのが女性歯科医のKでした

Kは離婚歴ありの子持ち40代でした

やっとこれで落ち着くか… と思ったのですが

1年もしないうちに 『家庭の事情』とかで 退職を申し出てきたので

4人目を探すことに…

業界雑誌に『歯科医師募集』の広告を出し 応募してきたのがHでした