歯科技工の歴史とルーツは?最初に作られた入れ歯はこんなものだった! | dental-techniqueのブログ

dental-techniqueのブログ

元歯科技工士が自らの経験を踏まえて、歯科関係のお話を綴っています。

近年の歯科技工業界では、僕が歯科技工士の専門学生だった頃にはなかった、CAD/CAMというコンピューターを使った技術が目覚しい進歩を遂げています。

 

これから先もこのようなデジタル技工が進んでいくのなら、歯科技工士としての在り方が変わっていくように思います。

 

では、逆に昔の歯科技工はどのようにしていたのかが気になりませんか?

 

現在のように大した道具もない時代。

 

神様に歯痛のお祈りをしても、歯がなければご飯を食べることはできません。

 

そこで今回は歯科技工の歴史をさかのぼり、ご先祖様を探りにいこうと思います。

 

それではさっそく見ていきましょう!

 

 

 

入れ歯の歴史

 

日本最古の入れ歯

 

日本に残っている一番古い入れ歯は、和歌山市願成寺の尼僧(通称仏姫)が入れていたもので、その材料は「木」でできたものだったそうです。

 

この仏姫は1538年に亡くなっているので、「室町末期」にはすでに木の入れ歯が作られていたことになります。

 

 

江戸時代の歯科事情

 

この頃の歯科技工を支えていたのは仏師(仏像彫刻家)達だそうです。

 

入れ歯の製作を依頼する人は大名や身分の高い人だけ。

 

一般の方にまでは浸透していなかったみたいですね。

 

この頃にはまだ差し歯(メタルボンド等)を入れる技術や材料もないので、作ったとしても入れ歯しかなかったようです。

 

作り方はまず、口の中に手を入れて手探りでかたちをとらえ、硬く丈夫なツゲの木を彫刻しながら入れ歯作りを行うといったもの。

 

この時代に大名や身分の高い方の口の中へ手を入れるなんて相当なプレッシャーだったことでしょう。

 

しかしそんな作り方ではどうせ大したものなんて作れなかっただろうと思いきや、蜜蝋で顎の型を採り、480年も前からあごに吸いつく技術で作られていたとされる入れ歯は、写真からもその技術の高さが見て取れます。

 

出典:歯の博物館 ~江戸時代の入れ歯~

 

 

仏像彫刻から入れ歯細工職へ

 

仏像彫刻の仕事は時代の移り変わりにより徐々に減っていき、入れ歯作りが仏師の仕事の中心になったそうです。

 

そして仏像彫刻家達は、次第に「入れ歯細工職」と呼ばれる専門職になっていきました。

 

 

江戸時代に木の入れ歯を入れていた有名人

 
  • 本居宣長(もとおり のりなが)・・・江戸中期の国学者・医師
  • 杉田玄白(すぎた げんぱく)・・・「解体新書」を著した江戸中期の蘭方医
  • 滝沢馬琴(たきざわ ばきん)・・・「南総里見八犬伝」の著者
  • 柳生宗冬(やぎゅう むねふゆ)・・・徳川将軍綱吉の剣術指南役

 

杉田玄白の解体新書や、里見八犬伝などは誰でもよく知られていると思います。

 

木から削り出して作るような大変な作業を要される当時の入れ歯は、このような身分の高い人にだけあてがわれたものとして、とても貴重なものだったに違いありません。

 

 

明治時代の歯科事情

 

外国から多くの歯科医師が日本を訪れたことで、日本にも歯を治療する歯科医師の存在が定着していったそうです。

 

そんな中、西欧からゴム製の入れ歯が伝わったとのこと。

 

歯には陶歯(せともの)が使われるようになったため、腐敗臭はしなくなったそうですが、床がゴムのため独特の臭いがしたようです。

 

そして、1906年(明治39年)に歯科医師法が施行されたことで、歯科医師としての業務と身分が与えられるようになりました。

 

歯科技工士はというと、1912年(明治45年/大正元年)には「入れ歯細工職人の仕事」を資格として認めてもらうための申請が行われましたが認められませんでした。

 

歯科技工士としての資格が認められたのはそれから40年ほど経った後のことです。

 

1955年(昭和30年)に歯科技工法が制定されてからようやくその資格が認められました。

 

 

近代の歯科事情

 

ゴム床で臭いのある入れ歯は昭和初期になり、ドイツからアクリル系樹脂が伝わったことにより、現在も使われているような入れ歯へと劇的に変化を遂げました。

 

そのおかげでアクリル系の入れ歯が保険適用となり、多くの人が使用することができるようになったそうです。

 

このアクリル系樹脂が伝わるまでの入れ歯は、大正時代になっても一部の階級の人しか入れられない高級品でした。

 

昭和52年には歯科技工士の免許発行の権利者が都道府県知事から厚生大臣に変わり、平成6年には歯科技工法が歯科技工士法に改称するなど、徐々に変化を遂げていったとのこと。

 

更には、歯科技工士になるための国家試験資格に「文部大臣(当時)が指定した歯科技工学校を卒業した者」という項目が加わり、これを機に大学や短大にも歯科技工士養成機関が開設されるようになりました。

 


まとめ

 

  • 歯科技工士の先祖は仏師(仏像彫刻家)
  • 最初の入れ歯は「木」で作られたもの
  • 「室町末期」にはすでに木の入れ歯が作られていた
  • 入れ歯は大正時代まで一部の人しか入れられないほどの高級品だった

 

学生時代に先生から初めに作られた入れ歯は「木」であると聞いていたのですが、室町時代に入れ歯があったということは驚きでした。

 

しかもその当時から高い技術力があったとされるのは、日本人特有の手先の器用さが関係しているのでしょうか。

 

昔は貴重だったはずの歯科技工士の立場も、現代ではあまりいい待遇にありません。

 

元々儲かる仕事だったのかは分かりませんが、更なる改善がされることを願っています。

 

では、また。