※彼らが『創価学会』と名乗っているので
『創価学会』と書かざるを得ない状況です。
詳しくは下記のリンク先をご覧ください。
〔『創価学会』の皆様へ① 〕
〔『創価学会』の皆様へ② 〕
※全てのエピソードは時系列順に記しています。
各タイトルの〈〉内にある数字が時系列順です。
番号順にお読み下さい。
【】内には発生した日時も記してあります。
JR福井駅に到着したのは13時59分でした。
スマホはアルミホイールに包んで使用できない状況でしたので、米原駅までのルートをJR福井駅の駅員さんにお尋ねしました。
14時12分、JR福井駅発のJR北陸本線の普通列車で敦賀まで行き、そこから乗り換えて近江塩津へ。
さらに乗り換えると米原に着くとのことでした。
私は教えて頂いたとおりに、北陸本線の敦賀行きに乗り込みました。
列車にはスーツ姿の『創価学会』が数人、乗り込んできました。
これまでのように罵声をかけるようなことはせず、監視に専念している様子でした。
私はこれまでの事や、これからのこと、S.A.さんの安否、そして何よりも両親の事を思いながら、車窓を眺めていました。
時折、雨の降る、薄暗い日だったと記憶しています。
15時04分、列車は終点の敦賀駅に到着しました。
そこから15時23分発のJR北陸本線・姫路行きに乗り換えです。
この先、米原に向かう予定だったのですが、次に乗り換える予定だった近江塩津駅の名を失念してしまったため、そのまま通り過ぎてしまったのです……。
きちんとルートを確認する前に、スマホを封印してしまったのは失敗でした。
せめて駅員さんに聞いた時に、ちゃんとメモをしておけば……。
このとき乗車していた列車は、先に進むにつれ、平日のローカル列車、しかもコロナ禍にも関わらず、多くの乗客で混雑してきました。
その乗客の大半が『創価学会』の関係者であることは一目瞭然でした……。
『創価学員』がこれほど増えているのは、やはり相当緊迫した状況にあるのではないかと推測できました。
『創価学会』が身の危険を感じる事態になっていると思われます。
ですが、警察の捜査が何処まで進んでいるのか、私には情報を得る手段がありません。
(もし、警察の動きを知ることができていたら、この後の私の行動は変わっていたことでしょう……)
今の私にできることは、このまま逃げ続けるしかなかったのです。
ところが、滋賀県に入ったころでしょうか。
『創価学会員』が「よっしゃ!」と声をあげました。
全員ではなく、数人ですが、それは歓喜の雄叫びでした。
そして、それまでの緊迫感が緩んでいくのが感じられました。
嫌な予感がします……。
やがて列車は次の停車駅に到着しました。
すると彼らの大半は一斉に降りてしまったのです。
この時の駅名は思い出せませんが、かなり小さな駅だったので、これほど多くの人が一気に下車する駅ではなかったはずです。
再び走り出した車内は、かなり人が少なくなっていました。
それでも、それなりの人数の『創価学会員』が、私の追跡を続けている状況ではあります。
どうやら『創価学会』にとっての差し迫った危機は去ったようです。
もし、そうなら、このまま逃亡を続ける意味は無いのでは……。
いや、あるいは、私にそう思い込ませるための芝居かもしれません。
実際、この数週間、幾度となく、彼らに騙され続けてきたのですから。
いずれにせよ、まだ追跡を止めてないということは、『創価学会』側の危機もまだ完全には去っていないのだと思い直しました。
やはり、このまま逃亡を続けるしかない……。
【私の体験談㊽ ~危険なささやき~】に続きます。
※これは実際に私の身に起きた出来事です。
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