※彼らが『創価学会』と名乗っているので

『創価学会』と書かざるを得ない状況です。

詳しくは下記のリンク先をご覧ください。

『創価学会』の皆様へ①

『創価学会』の皆様へ② 

 

※全てのエピソードは時系列順に記しています。

各タイトルの〈〉内にある数字が時系列順です。

番号順にお読み下さい。

【】内には発生した日時も記してあります。

 

 

 

 

 

2021年4月28日12時頃
 

公衆電話を後にした私は、タクシーを拾い金沢駅へと向かいました。

この先、私は行方不明にならなくてはなりません。

謎の人たちに追いかけられて、必死に逃げ回っていると警察に通報するよう両親にお願いしたのですから。

実際、『創価学会』と名乗っている謎の人たちに追われ続けているのですから、これはウソではありません。

私はこれから逃げ続けなくてはならないのです。
私が『創価学会』から追跡されている証拠を、警察がつかむまでは。

警察は、先ほどの電話からあの公衆電話の位置を割り出し、そこから私の足取りを追うはずです。

と同時に、両親に
「これまでの足取りを捜索して欲しい。都心や宿泊したホテルに、私を追っている相手の証拠が残っている」
とも伝えていましたから、船橋市のマンションからの足取りも追ってくれるはずです。

今後は『創価学会』ではなく、警察からの逃れれなくてはならなくなったのです。

金沢駅に着いた私は、普通列車で西へ向かうことにしました。

新幹線や特急列車では、すぐに足が付くように思ったからです。

それに逃走資金のこともありました。

クレジットカードを使用したら、私がどこに居るかの情報が警察に知られるのは間違いありません。

同様に、キャッシュカードでお金を下ろせば、カードを使用した銀行の位置から、私の居場所が特定されます。

ですので、これからの逃亡中、使えるのは手持ちの現金だけです。

もしものために、かなりの金額を所持していましたので、たとえ長期間の逃亡生活になったとしても、問題はありませんでしたが、この先の事を考えれば節約しなくてはなりません。


タクシーを降りた私は、大きな荷物を抱えながら走り出しました。

彼らに追われていることを、周囲の人たちや監視カメラにアピールするためです。
 

 

とにかく動き回らねば。


 

まずは米原に向かうことに決めました。

 

米原ならば、その先のルート選択の幅が広がると思ったからです。

 

しばしの待ち時間の後、福井行きのJR北陸線に乗り込みました。

12時28分発の列車だったはずです。

走り出した電車の車窓を眺めながら、私は心の中で両親に謝罪していました。

謎の連中に追われていると伝えたのですから、かなり危険な状況だと思っているはずです。

どれほどの心配をかけていることでしょう……。

私は、高齢の両親にあり得ないほどの精神的負担をかけてしまったのです。


『創価学会』に実家の場所を知られるのを承知で、それでも実家に帰るべきだったのではないかとも思いました。

その方が心配をかけないですから。

ですが、私が実家に帰れば『創価学会』の嫌がらせが始まるのは明白でした。

騒音、睡眠妨害、監視カメラやサーモグラフィーによるのぞき行為、どこに行って続けられるストーカー行為、ガスライティング……。

これらに私は耐えてきましたが、果たして高齢の両親に耐えられるかどうか。

おそらくは耐えられないと思われます。

いま心配をかける親不孝よりも、将来の両親の安全を優先すべきだ。

私は涙ながらにそう決意しました。

ですが……。

心配する両親の情で警察を動かそうとするなんて……。

「最低の手段だ…」

そう心の中でつぶやきました。

涙は止めどなく流れました。


このとき私が乗車していたJR北陸線には、当然ながら私を追跡している『創価学会』の関係者も数人、乗車していました。

この時点での私は警察に発見されないように逃げているのですから、『創価学会』に追跡されることは、もはや問題ではありませんでした。

むしろ、彼らに追跡された方が、追跡されている証拠が多く残るのですから、こちらの方が断然有利です。

この時の彼らは、まだ私のしたことを明確には気がついていないようでした。

ですが……。


私の体験談㊻ ~『創価学会』崩壊の危機~】に続きます。

 

※これは実際に私の身に起きた出来事です。

 

 

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