※彼らが『創価学会』と名乗っているので

『創価学会』と書かざるを得ない状況です。

詳しくは下記のリンク先をご覧ください。

『創価学会』の皆様へ①

『創価学会』の皆様へ② 

 

※全てのエピソードは時系列順に記しています。

各タイトルの〈〉内にある数字が時系列順です。

番号順にお読み下さい。

【】内には発生した日時も記してあります。

 

 

 

 

2021年4月27日12時頃
 

中央線で東京駅にたどり着きました。
 

実家のある石川県に帰ろうと考えていたのです。

 

今度、船橋市のマンションに戻るのは、引っ越しの時になるだろうと思いながら、車窓を流れる景色を眺めていました。

私が『創価学会』に対してしてしまったことは、例え実行する気がなくとも許させぬことでした。
 

ですが、これで今後も私のような人間に攻撃を続けたら、逆上した被害者がこのような反撃をする危険性を分かって頂けたのではないかと思ったのです。

今度こそ攻撃が止むに違いない。

私はそう願い東京駅を発ちました。
 

たしか、12時24分発のはくたか563号だったと思いますが、もしかしたら一本後だったかもしれません。(実は前日の宇都宮のホテル辺りから、逆上していたため、時間の記憶がかなり曖昧なのです……)

そう願って北陸新幹線に乗った私ですが、途中の富山で途中下車することにしたのです。

もし、この地で追跡が続くようでしたら実家には帰るわけにはいきません。
 

それを試すために降りたのです。

ですが、残念ながら追跡は続きました。
 

富山駅の改札を出た途端に『創価学会の敵』との罵声がかけられたのです(→『創価学会の敵』と言われ続けた証拠参照)。

午前中に私がした悪魔的な行動(→私の体験談〈40〉 悪魔に魂を売った日参照)すら、結局、何の抑止力にもなりませんでした……。

このまま実家に帰ると、彼らが付いてくるのは確実です。

 

そう思い、この富山で一泊することにしました。

ですが、ホテル探しを始めると、2021年4月15日の高崎市での出来事(→私の体験談〈20〉 コロナ禍なのに全て満室参照)を彷彿とさせるように、行く先々のホテルがことごとく満室。

 

コロナ禍で全てのホテルが満室などあり得ません。

当然、『創価学会』が手回ししたのでしょう。

それでも、どうにかその日の宿は確保しました。

宿泊したのはPホテルというラブホテルでした。
 

さすがに、この手のホテルにまでは満室と言わせることが出来ないようです。

左右の部屋は埋まっていたので大丈夫かと思ったのですが、上の部屋が空いていたため、すぐに彼らはその部屋を確保し、例のごとく特殊なスピーカーを使用した変声器のようなもので話しかけてきました。

最終的には空いた左右の部屋も彼らの仲間によって埋められ、この日は上左右と完全に囲まれました。


この夜、彼らは言ってきたのです。
 

「お前がこのような目に遭うのは、伊丹十三の死因について調べたからだ」と。

映画好きの私は伊丹十三さんがお亡くなりになったことに『創価学会』が関係しているとの噂が気になり、何度もネットで検索したことがありました。

それをハッキングしていた彼らが見ていたようなのです。

まさか、それを『創価学会』と自ら名乗る人の口から聞くことになるとは思いもしませんでした。

伊丹十三のことは『創価学会』にとって、触れてはいけない出来事だ。それを調べたら命は無いぞ

私はそのように脅されました。

ですが、そのようなことはネットで検索すれば、いっぱい出てきます。
 

それを検索したことがいけないのであれば、かなり多くの人が同様の被害に遭っているはずです。

そう思い、問うたところ

 

「案外そうでもない。意外と、この事を知っている人は少ない。お前はそういう事ばかり調べているから、我々に攻撃されたのだ。二度と伊丹十三のことは調べるな」

おそらく単なる脅しなのでしょうが、それでも『創価学会』と名乗った人物が、伊丹十三さんの噂の件をこのように語ったのは衝撃的でした。

やはり裏に何かあったのではないかと思わざるを得ません。

 

私はこのことを調べたから『創価学会』の攻撃が過激になったのだと、この時の彼らは言いました。

 

彼らにとって触れられてく無い出来事であるのは間違い無さそうです。

そして、この後、彼らは私に衝撃の提案をしてきたのです。

それは、この一連の出来事に終止符を打つ提案でした……。


私の体験談㊷ ~証拠は残っていた~

 

※これは実際に私の身に起きた出来事です。

 

 

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