どこの山もいっぱいで、
山頂に立った時にはいつも「ヤッホー」と叫びたいのに、周りの観光客に気を使って叫べない自分がいます。
誰もいない山に登りたいなあ。
ただ「ヤッホー」と叫ぶために(笑)
常日頃、どの山に登るかと考えた時、やっぱり最低基準は、誰にも邪魔されない分野に挑戦するということです。
せっかく楽しく山を登ってるのに、横から邪魔されたり、お小言言われたりガミガミ言われながら山は登りたくないもの。
そういう人がいると、
せっかく山の神様が見せてくれる大自然の美しさが目の前に広がっているのに、なんでこの人は、隣の人ばかり見ているのだろう?と思います。
人ばっかり見てると、せっかくの地球の美しさを、見落としちゃうぞー?人の心配より、大事なものがあると思うのになぁと思います。
世界は、刻一刻と変化していきます。
本当に美しいですね。
いつまでも見ていたいなって、
いつも思います。
停滞したものは腐り淀んでいきます。
でも、堆積したものさえ、悠久の時を経て自然は変化させていきます。
変化は自然なのですよね。
神様が決めていることなのです。
人はそれを老いとも捉えるし、没落ともとるけれども、それもまた、変化だと思います。
変化は、学ぶと、進化を起こします。
絶対と言われている、人間を作る遺伝子情報ですら、進化の過程で、確立されてきたものに過ぎません。
変化を起こすことは、
未知の生物へと進化を起こすことでもあります。
それは、怖いことでしょうか?
でもそれは、自然なことなんですよね。
ミームと呼ばれるものが、個体を超えて進化を起こすのは、とても不思議なことで、感動的なことでもあります。
よく、気分で株価指数が上がったり下がったりしますが、あれに近い感じですね(笑)
環境の変化による淘汰による細胞の進化もありますが、
生き物が、「こっちの方がイイんじゃね?」て、思った方に起こる進化もあるというのが、なんとも可笑しい。
神様の意図してない株価の値動き(笑)
そういった天文学的な確率がまた絡み合って、物事が起こる。
最近、またドンパチやってるとこもありますが、怒りと不満の爆発の果ての行動であって、ちゃんと因果があります。
分かりやすい社会や宗教の原因を理由づけたがる人もいますが、
家族と落ち着いて食卓を囲み、元気に楽しく仕事に行く環境があれば、普通の人は、その幸せを守りたいと思うものです。
それを、ヤッホーも言えない。
そんな状況が一番の闇なんではないかと思っています。
人は人に縛られて生きると、苦しい。
「苦しい」と「痛み」を、痛みとして捉えないようにする為に、ある思考パターンをストップさせます。
それは幸せを感じる所です。感情を止めるのです。
感情を止めるとどうなるかというと、苦しいが増えて怒りに変わります。
あとは、外部にその怒りを出してドンパチやるか、自分の内部に向けて、身体をガン化させるか、とにかくその強いエネルギーはベクトルがあるので、矛先をどこかに向けます。
エネルギー昇華をさせる方法を知っている人は良いのですが、それが分からない人が多いから、それを教える宗教が全世界中に広がっているわけで、
まあ、宗教心があつい所にドンパチが多いというのも、納得も致します。
神様は、
神様は、
そんなにケチくさい人じゃないのにな。
神様は、全ての人を幸せにするだけの絶対的なパワーがある。
人だけじゃなくて、全ての生きとしいけるものもの全てを救うだけのパワーがある。
それを信じず、
地球の未来を考えず、
自分のエゴに生きた時、
何が起こるか?
みんな、見えているのに、
目をつぶっている。
山に登って山頂についたら、
気持ち良くって、
思わず「ヤッホー」と、叫びたい。
みんなで叫べたら、もっと楽しいでしょうね~。
それが普通になったら、
きっと世界は平和ですよね~。
幸せなら、手を叩こう♪→パンパン
幸せなら、手を叩こう♪→パンパン(笑)
幸せなら態度で示そうよ、
ほらみんなで手を叩こう→パンパン♪
幸せなら、行動を起こそう。
幸せを、みんなで守ろうよ。
伝わりますように。