私の今のテーマは、「怒」です。

母の怒りの強いパワーに圧倒されて、
あっさり諦めに置き換え、全く違う可能性を探ることにすぐに切り替えることを小さい頃から覚えていたので、
あまり怒ることがないのですが、
怒らないということで、自然と道が狭まっていくこともあるのだと、最近気づきました。

社会を変革する人の根底には、強い「怒り」があります。
「こんなのどう考えてもおかしいだろう」という怒り。

「怒り」というものは、ネガティブに捉えられがちですが、
正しく使うことを覚えれば、本当に強い力になるのですよね。

被災地に行くと、心の奥底で、怒りの小さな火がポと点きます。
防ぐことができないものは、もう今更よいのですが、
防ぐことができるのに、いまだに起こることについては、
怒りを感じもします。

「なぜなんだろう?」
「なぜ起こる?」
「これって防げることなんじゃないのかな?」

人間の想像力には限界があり、
起こってからでないと分からないこともあります。
けれども、阪神淡路大震災を経験した大先輩方が、いまだ現役バリバリ大活躍の世代にあって、いくらでも求めようと思えば、知恵も知識も得られる。
あの時に起こった問題を起こさないように対策することってできるのではないのかな?とも、思う。

そんなことを色々考えていたのですが、
昨日、神戸ユニットの皆さんと話をしていて気づいたのが、
日本には、世界には、そう考えている人がいっぱいいる。
けれども、それを、現場や行政と繋ぐ人がいないのだ、ということでした。

アイデアがないわけじゃない。
お金がないわけじゃない。
繋ぐ人がいないだけ。
第三セクターとして行動する人がいないだけ。

・・・今の自分の立場を考えます。
やる気があっても、
なくてはならないものは、知恵と権力と時間とお金。

どう確保するか、どう実行するか。

どこまでの責任で自分が行えるのか。

まあ、人生やりたいことが難題過ぎると思考も止まりますが、
昨年から助けてくれる人が少しずつ現れてきており、
やはり、神様がこっちで良いんだよ~と、言ってくれているのかな?とも思います。

父がテレビで「オリンピックまで頑張ろうかな?と思ってます」とか、言っちゃったもんだから、、、
orz、、あと7年。。
3年計画のつもりが、10年計画に。。
本当にできるのかどうか、、
自分の体力。それだけが不安です。。

ひとまず、
ひとまず、
やるべきことは、
未来を見ること。
今は不安。
でも、未来は、明るい。

神戸ユニットの方が、「目標を10万枚にしましょう」と言われた時に、
「え!!」
と、びっくりしましたが(笑)
本当に、子ども達全員に届けようと思ったら、必要な数ではあるのですよね~~

楽観的ですが、
10万枚。
確かにやろうと思ってできないことではない数ではあるので、、
本当になっちゃった時のために、
しっかり土台を準備しておかねばと思っております。。
ただ集めるのではなくて、繋ぐ橋がきちんとしていなければ、届きません。。

今日は、姪っ子の結婚式です。
幸せそうな姪っ子と旦那さんと親御さんの笑顔に癒されております^^

^^良いですね☆

うんうん。日本の未来は、明るい☆

さて、みなさま、今日も明るい未来をお過ごしください☆

人生を諦めたり、飽きるのは、早いと思います。

自分を支える土台がグラグラしてても、整えようと思ったら、少し時間をかければ、必ず整うものです。

今が、自分が思ったようなもので無かったとしても、やり続けていれば、大抵なるものです。

ただ信じて、やる。

ということが大事だと思っています。

割り勘は、対等である為には大事なことです。

「依存」が、「相互依存」である場合は、とても発展的なのですが、

「依存が当たり前」になった瞬間に、そこには上下関係が生まれます。

その上下関係がお互い居心地が良い場合は良いですが、

対等ではないことの意味をきちんと認識する必要があると思います。


どちらにしろ、

自分の想いに反していないか、というのが、基準となりますね。

言葉は難しい。

そう感じるのは、こちらの意図が、言葉通りに伝わらない時です。

つまり、私はただただコミュニケーションを取りたいだけなのです。

この壁はいつもぶつかりますので、
人に理解してもらう為には、言葉を増やすということがとても重要なのだということが分かります。

態度でいくら伝えても、結局の所、複雑な相互理解を進めようとすると、言葉できちんと正確に伝えるしかないのです。

もっと言葉の勉強をせねば、と、今日も本を読んでおります。

あー、小学校の時に、もっと本を読んでおけば良かった(笑)と、過去を振り返り、きっと私は、親になったらいっぱい子どもに本を与えるんだろうな~と思います。

海外に行く度に、
いつも学ぶべきは、日本にあることに気づいて帰ってきました。

いつも、結局、
自分の足下に立ち返ります。

今、やりたいことと比べて、自分の能力が足りないというこのギャップを埋める為には相当な時間がかかるということが分かるので、その事実にいつも自分にがっかりしてしまいますが、
うちのワンコがシッポを全開にフリフリしながら私に甘えてくると、
(;^^)ああやばい、私、ワンコにまで心配されてる(笑)と気づいて、悩んでる場合じゃない、やらねば、と気持ちが立ち戻ります(笑)
ありがとう~

結局は、行動あるのみ。


さーてがんばるぞー!
(^^)最低限、ワンコに心配かけないレベルにはー!(笑)

人は、期待という幻想の中に生きています。

それを利用する人もいれば、
自分で利用する人もいます。

だから、別に私はみんな「そのまま」「ありのまま」で良いのでは、と思います。

人と自分を比較して落ち込んだり、
人と自分を比較して発奮したり、

人に期待して自分を高めたり、
人に期待して思惑と外れて落ち込んだり。

そういう、アップダウンを激しくして、ジェットコースターを楽しむのも、まあ良いのですが、
私はあまり、そういうのは得意ではない方ですので、
人にはオススメいたしません。


どうせ期待をするなら、
自分に期待する方がずっとずっと面白いと思います。


だって、未来がどんどん桜が咲くように、ピンク色に、華麗に変わって行く人生って、おもしろそうだと思いませんか?

私は、自分にいっぱい期待しています!!

(^^)今日も、自分の力を信じてくださいね☆

私も、自分の力を信じて未来を切り開いていきます!

それでは今日も、思いっきり自分の力をフルパワーで発揮させて楽しんでいきましょー☆




私は偉そうですか?

でも私、結構大人なんです。

人に学んできたものを既に教えるべき年齢に達しています。

だから、別に偉そうにしたい訳でなく、ただ人に教えたいだけなのです。

普通に喋る事が、偉そうに見えるということは、
きっと私が話していることと、
私が認められている過去の実績とが、
乖離しているという事でしょう。


うちの父は、
こういうの得意なんですよね。

自分自慢(笑)いやいや。

自分の過去の実績をきちんと相手に示し認めさせ、
目的を達成する能力が高い。

父の行動を見てると、
なるほどなって思います。
ああ、こうやれば良いのかって。

だから今は、
偉そうに見えてもしょうがない。
ただただ実績を積んで、
皆さんに自分がやってきていることを見てもらう事でしか、
その乖離は埋まらないんだろうなって思います。

今は、
自分が認められたい
という気持ちよりも、

社会的に認められた方が
活動し易いのだなという事に気がついたので、
自分を認めてもらう行動をとっている、
という感じです。


今まで、人に認めてもらう事にあまり興味が無かったので、
スマートに認めてもらうノウハウが少なくて、
偉そうに見えてしまうのが、
自分的にも歯がゆくてしょうがないのですが、

これもまた学びのステップですね。

さてさて

^_^ 今日も思う存分、

自分のままでおりましょう。


みなさまも、

思う存分、自分のままでいてくださいね。





本当の不幸は、
やることが無いこと。

貧困と貧乏は全然違う。

貧乏は比較の中で表れ、
貧困は、自然との闘いの中で表れる。

人間は、馬鹿じゃない。
よくプログラミングされている。

弱者を救うことが強者にとって、
意味を持つ。

弱者の豊かさを守ることが、
結局は、
強者の豊かさへ繋がる。

着物が好きで、たまに着物を着ます。

着ると、着物は、日本人の心というものを作っていたのだな、という事が分かります。

人は、体に心を支配されており、

体によって感情が変化します。

着物を着ると、どう頑張っても、変な格好ってできません。

所作が、どうしても、きちんとしたものになるのです。

背筋がのび、重心が自然と下に落ちます。

それとともに、心も、しっかりとした芯を持ち、気持ちがピッと整います。

着物が高い安いは全然関係ありません。

ただ洋服になっただけで、この心意気が一気に失われるのです。

アメリカによる侵略によって、日本人の心は、食と文化から奪われた、という人がいますが、

あながちウソではないと私も思っています。

日本は黒船が来航し、外国人が初めて来た当時から、ずっと豊かな生活をしていたのです。

地域で子どもを育て、食を分け合い、喜びの座をみんなで共にする。

生活用品に捨てるものはなく、全て自然循環型の環境を守る竹細工や藁に瀬戸物など、
農作物や土から派生したものばかりで、全て自然に回帰する材料で作られていました。

無駄なものをそもそも持たない生活をしていたのです。

そのことが、いかに心豊かなことかと思います。

『足るを知る』ということが、当たり前の生活だったのです。


今は、『いかに捨てるか』ということが、課題になるような時代になりました。

『断捨離』という言葉がブームになるくらいですから。

ただ、

簡単に捨てる。

簡単にリセットをする。

そのことに、私は疑問を感じます。


未だ、本当に必要なものが何かを見極めきれていない若輩者が何を言うか、と思われるかも知れませんが、

常に取り込む時に、真剣に選択をしていれば、

捨てるものなど、何も無いのだ、という事が分かると思うのです。

物に溢れた生活の中で、私たちの心は雑事を常にまとわりつかせ、生活をしています。

こういった浮き世の移り変わりを遠くから眺めていると、

人の喜びとは、何なのか?と考えます。



きっと答えは出ないのでしょうが、


着物を着る自分というものだけは、大事にしていこうと思っています。








日本人と話をしていても、言葉の壁を感じる時があります。
きっと私の規定概念がその人と違うからなのだという事が分かっているので、それほど戸惑いませんが、いい加減付き合いが長くなってきた人とズレると、寂しさを感じます。
私は一体この人の何を見て来たのだろう?と。

人は多面体であり、成長という変化を起こします。ですから、その人が私に見せている側面はある一定の一面でしかなく、その人の事を分かった気になっているだけなのは理解しているのですが、
つい希望を抱いてしまうのです。
分かり合えるかもしれないと。

私はまだまだ人と対話する力が足りないようです。
人と人の間にある希望を諦める事を未だに覚えられずにいます。

まだまだ成長したいので、今年ももっと多くの人と会い、話す機会を増やしたいと思います。

一瞬でも繋がれる、ということは、
とても面白く尊い一瞬ですから。

きっと、10年後、20年後の私を生かしてくれる原動力になると思います。

3年間の大仕事を終えて、
なんだか、ホッとしたとともに、未来の希望が見えてきましたが、
新たな事をスタートすることに少し恐れも感じています。
また、大変な事になるんではないか、と。

数々の体験は、私を大きく成長させてくれ、感謝の念に耐えませんが、
身体の声は、少し休んでと言っているようで、その事が逆に不安を感じさせるのです。

思考は光速で変化をするのに、
現実というものは、それほど早く変化はしません。
それなのに自分が身に付けたスキルは、どんどん古くなっていくんですよね。

やりたい事が現実に追いついてしまうと、こうやって心が遠くに行ってしまう事を、何度となく経験していますが、
優しい人と人との繋がりが、いつもその遠ざかっていく私の心を引き止めてくれました。
そのことに、ただただ感謝。

また、明日も希望を持って生きましょう。

また、多くの人が明日を生きる奇跡に、感動を覚えながら。

『責難は成事にあらず』
座右の銘のように、自分が怠けたくなった時に起こる『人への責任転嫁』を戒めてくれる、大事な言葉です。

何をもって責難とするか、というのも、常に私の中にもっている課題です。

つまびらかにすることで、気づきを与えることもあるので、
敢えて行なう事もあるからです。

ですが、その際に、
そこに、自分の虚栄心は無いか、いつも考えます。

座禅をよくするのですが、

瞑想と問答、どちらを行なうか、その場ののりで決めます。

鎌倉のお寺で座禅をした時は、考えたい事があったので、問答にしようと思っていたのですが、

そこにある一瞬の自然の造形に目を奪われてしまい、

一気に瞑想の境地に入ってしまいました。

人生とは、一瞬のうちに決まり、一寸先は何も決まっていないのだと、その時思いました。

寺の境内には、四季の花が常に咲くようにと配置されており、美の宇宙でした。

心の琴線に触れるような、繊細な配慮の数々を、自然の中に施している、ということが、何とも深く、何とも美しく、

その優しい心にただただ感動を感じておりました。

そこには、虚栄心のかけらもなく、人に気づきを与え、喜びを与え、穏やかな時を与えてくれていました。

あの境地に至りたいと、いつも思います。



奢らず、焦らず、諦めず。

一歩でも前へ前へ。

今日も、皆様にとって良い一日になりますように。