人との繋がりを維持するのってむずかしす。。

メールの整理していたら、
あの時、こんなに仲良かったのに、もう二度と会えないんだろうな。
と思ってしまった。

過去を振り返っても、未来を鑑みても、人との出会いで仕事は成り立っていて、
自分を助けてくれたのは、人が手を差し伸べてくれた物事ばかりで、
自分から営業をしたことがない。

友達として付き合う時、仕事に役立つかも、って考えが一瞬でもよぎると、
その人がどんなに素敵な人でも、二度と会いたくなくなる。

「自分は汚い」なと思ったファクターとして、自分に刻み込まれてしまうから。

幸せファクターを貯め込んで、不幸せファクターを相殺したい。
本気で思うけど、なんで嫌な事ほど、記憶に残るんだろう。

私はそんなに不幸な環境にいないと思う。
だから、不幸せになりたい病なんだろうか。。

いや、そんな考え自体ばかばかしいか。。。
そのファクターを刻んでるのは、他者じゃなくて自分だ。


救いは、自分の中にある。


大きな物事に関わるのを、怖がらないように、震えを心に抱え込んだまま対応していこう。


精一杯。

がむしゃらに。


忘れないように。

がむしゃらに。









小学3年生の頃、深く自分に刻み込まれた言葉がある。


「 今の嘘は、一生の嘘 。

  一生 その嘘を覚えていられる自信があるかい ? 」


子供の頃の、自分を守るための、たわいもない嘘。

たぶんみんな経験があると思う。

でも、いっぱい嘘をつき続けると、破綻がくる。

そんな事を気づかされた言葉だった。



この言葉は、私の夢で出てきた言葉だ。

私はしばらく考えた。

考えて考えて、また夢を見た。


私はバレエの練習をしていた。もちろん経験はないし、今もない。
大勢の子供達の前で、先生に指名された私は、バレエの基本姿勢を皆に教えてあげてと言われた。

私は知らない事を認めず、アンドゥトロワ、というかけ声とともに、ポーズをとってみせた。
もちろん、先生に違うと言われるのを知りつつ無理していたから笑われる覚悟をしていたのに、先生は何も言わず、みんなは、それが基本姿勢だと思って納得していたようだった。

そこで、夢は途切れた。。

私は夢の中で、

自分がついた嘘を、『 完全に肯定される 』世界を、体験したのだ。


あの目覚めた時の気持ち悪さは、今でも思い出せる。



そしてようやく、私は、この言葉の意味に気づいたのだった。


ひとつの嘘は、大きくなる。

どんどん大きくなる。


嘘は、一生かけて自分を縛るんだ 、 と。




自分が忘れても、

私がついたその嘘は、


嘘を聞いた他者の中で、一生、生き続ける。









DENSITY-DESIGN
=意味は、デザインの密度ではなくて、「密度デザイン」

内側を外側に捲り 超重力の塊を更に重く、人工的に作り出す。
常に密度を問う姿勢。
それが、DENSITY-DESIGN










殺人は自分の中と向き合ってから。


自分が可哀想になりすぎて他人を可哀想と思えなくなった時、殺人は起きると思う。

自分より可哀想な人は、必ずいる。

人は一瞬一刻変化していく生き物だから。

自分より下、
自分より上は常にいる。

自分の境遇が悲しいのは、他人の境遇が羨ましいから。

もっと自分と向き合って、今自分ができる事を、そしてこれからしたい事を、それを信じてあげる強い気持ちを、掘り起こしてあげよう。


常に理想の自分を心に持ち続けよう。
一歩先の私の背中を、私は気取ってかっこつけながら胸を張って追おうと思う。

あそこに私がいる。
あの背中は追いつける。
常に私は理想の人間になれる可能性を秘めている。

私の理想は、
冷静にクールに鮮やかにたち振る舞い、熱く未熟なままを肯定しつつも、自分の求めるところに恐れず飛び込める人間になること。

そんなヒーローみたいな、少女漫画の王子様みたいになれる訳ないと思う?

理想は、低かったら意味がない。

ヒーローは、恥ずかしくなる程、かっこよくなきゃ意味がない。

心と体は切り離される事はない。
心にインプットされたものは、体からアウトプットされ、
体からインプットされたものは、心にアウトプットされる。

体の細胞は1年後には全て置き換わっているらしい。

なら、1年後、心だって全て置き換わっているはずた。

代わり続ける。
置き換わり続ける。

今の自分は未来で必ず変わる。
それは、自分が選ぶ事じゃない。
宿命だ。
だから、飛び込め!
叫べ!
怖いという気持ちを捨てろ!
怖いという気持ちに気づけ!
走れ!
死ぬ気で走れ!
いつか必ず死ねるのだから!







1
人に興味をもつ事
2
相手を楽しませたいという気持ちを持って、エンターティナーというキャラクターになりきる事
3
自分を肯定してかっこつけない事


1
人に興味をもつ事
2
相手を楽しませたいという気持ちを持って、エンターティナーというキャラクターになりきる事
3
自分を肯定し、かっこつけない事



世界は不思議で満ち溢れている

だから自分を着飾る興味よりも
そっちに行っちゃう


・・・女の子になれないんだよな


カッコ悪いやつより、
すかしてる方がかっこいいと思ってるバカがかっこつけてる方が、ずっとかっこいい。


私は特撮が好きだ。
そこには、ハイテクと、物語破綻ぎりぎりの駆け引きと、肉弾戦の笑いがある。
バカとマジメとクールという王道のキャラクター作りも大好きだ。
正義と悪の二元論を意識させながらも、それを古くさせないためのあらゆる無理な設定を成立させてしまうフィクション力は本当に素晴らしい。
物語の端々に潜む、時間の都合や大人の事情による、大人の常識を越えた意味の破綻は、私の笑いのツボを押しまくる。
見ながら、突っ込まずにはいられなくなる。
そして、それを大真面目にやってる役者や裏方の大勢の大人たちが、大好きだ。
子供たちは、そんな破綻なんて関係無い。
そんな物語に、大人達がきちんと描こうとする熱いメッセージと、分かりやすく悪が敗れる強いヒーローの姿こそが、純粋な心に響いてくるのだ。
そんなところも大好きだ。
直球のメッセージは私のど真ん中に突き刺さり、なんでか泣けてしまう。
そして、いっぱい勇気をもらっている事に気付くのだ。
でも感動している反面、一種、懐古主義的な哀しみも湧いてくる。
日本は、戦争をしていない。
純粋な悪と認識する相手は、いない。
妥協と寛容の精神こそが平和を生むが、人間の人生は基本的に闘いの連続だ。
はっきりとしたカタルシスを得るには、相当な無理な努力と時間をかける必要があり、得てして、自分が100%求めた結果にはならない。
そして100%求めた結果にならないという事を、もう大人の私は信じてる。
信じてるというか、知っている。だから信じてると言い切っても過言じゃないよね。
でも、知っているからこそ、次の布石を打つ余裕が持てるし、これ以上酷くならないよう対策できる。
子供の頃は、100になれると信じていたし、100があると思っていた。
だから、懐かしさに寂しさを覚えてしまうのだ。
特撮は「がむしゃら」を、肯定してくれる。
そんな特撮が本当に大好きだ。
そんなマジな大勢の大人が支える壮大な夢物語でヒーローになれる俳優達が、本当に羨ましい。
何か、子供の根幹を作る傷を刻み込むのに加担するのって本当に羨ましい。
年々レベルアップするアクションやCGは、支える大人達の努力の結晶だし、ある意味、大人の仕事としてのカタルシスもあるし、子供たちが熱狂して応援してくれるというのは、凄いダブルで嬉しいカタルシスなんだろうなぁ。
大人になった今、子供の時にヒーローになりたいと思っていた気持ちとちょっと違うスタンスなんだけど、本気でヒーローになりたい、とそう思う。
その気持ちは、自分が子供を背中に意識する限り、ずっと持ち続けたい。

カッコ悪いやつより、すかしてる方がかっこいいと思ってるバカが一生懸命カッコつけてる方が、ずっとかっこいい。
最近は、本当にそう思う。

ヒーローのポーズは、70年代のジョントラボルタばりの気恥ずかしさを感じつつも、いつの間にか、そのポーズをしてしまう私は、バカなんだろうか?
いや、やっぱり、カッコつけたいんだろうな私。
似合わないのを知りつつ、やっぱり変身って、夢だもんな。

夢を現実に変える力。
今、私はそれを持っている。
子供の時よりも近しい位置にいるのに近づくスピードを上げていけないのは、大人になるにつれ、私が臆病になったからなんだろうな。

ヒーローとは、まず、自分という国をちゃんと治める事ができる王様でないと、なれないんだろうな。


自分が今、できる事を