私は特撮が好きだ。
そこには、ハイテクと、物語破綻ぎりぎりの駆け引きと、肉弾戦の笑いがある。
バカとマジメとクールという王道のキャラクター作りも大好きだ。
正義と悪の二元論を意識させながらも、それを古くさせないためのあらゆる無理な設定を成立させてしまうフィクション力は本当に素晴らしい。
物語の端々に潜む、時間の都合や大人の事情による、大人の常識を越えた意味の破綻は、私の笑いのツボを押しまくる。
見ながら、突っ込まずにはいられなくなる。
そして、それを大真面目にやってる役者や裏方の大勢の大人たちが、大好きだ。
子供たちは、そんな破綻なんて関係無い。
そんな物語に、大人達がきちんと描こうとする熱いメッセージと、分かりやすく悪が敗れる強いヒーローの姿こそが、純粋な心に響いてくるのだ。
そんなところも大好きだ。
直球のメッセージは私のど真ん中に突き刺さり、なんでか泣けてしまう。
そして、いっぱい勇気をもらっている事に気付くのだ。
でも感動している反面、一種、懐古主義的な哀しみも湧いてくる。
日本は、戦争をしていない。
純粋な悪と認識する相手は、いない。
妥協と寛容の精神こそが平和を生むが、人間の人生は基本的に闘いの連続だ。
はっきりとしたカタルシスを得るには、相当な無理な努力と時間をかける必要があり、得てして、自分が100%求めた結果にはならない。
そして100%求めた結果にならないという事を、もう大人の私は信じてる。
信じてるというか、知っている。だから信じてると言い切っても過言じゃないよね。
でも、知っているからこそ、次の布石を打つ余裕が持てるし、これ以上酷くならないよう対策できる。
子供の頃は、100になれると信じていたし、100があると思っていた。
だから、懐かしさに寂しさを覚えてしまうのだ。
特撮は「がむしゃら」を、肯定してくれる。
そんな特撮が本当に大好きだ。
そんなマジな大勢の大人が支える壮大な夢物語でヒーローになれる俳優達が、本当に羨ましい。
何か、子供の根幹を作る傷を刻み込むのに加担するのって本当に羨ましい。
年々レベルアップするアクションやCGは、支える大人達の努力の結晶だし、ある意味、大人の仕事としてのカタルシスもあるし、子供たちが熱狂して応援してくれるというのは、凄いダブルで嬉しいカタルシスなんだろうなぁ。
大人になった今、子供の時にヒーローになりたいと思っていた気持ちとちょっと違うスタンスなんだけど、本気でヒーローになりたい、とそう思う。
その気持ちは、自分が子供を背中に意識する限り、ずっと持ち続けたい。

カッコ悪いやつより、すかしてる方がかっこいいと思ってるバカが一生懸命カッコつけてる方が、ずっとかっこいい。
最近は、本当にそう思う。

ヒーローのポーズは、70年代のジョントラボルタばりの気恥ずかしさを感じつつも、いつの間にか、そのポーズをしてしまう私は、バカなんだろうか?
いや、やっぱり、カッコつけたいんだろうな私。
似合わないのを知りつつ、やっぱり変身って、夢だもんな。

夢を現実に変える力。
今、私はそれを持っている。
子供の時よりも近しい位置にいるのに近づくスピードを上げていけないのは、大人になるにつれ、私が臆病になったからなんだろうな。

ヒーローとは、まず、自分という国をちゃんと治める事ができる王様でないと、なれないんだろうな。


自分が今、できる事を