砂漠の記憶が濃い「私」




紅白歌合戦のミーシャがナミブ砂漠で歌う姿を見て、また砂漠に行かなきゃと思いました。

砂漠は、勇気、冒険心、生きるチカラを思い出させてくれます。
そして、そこには、愛と思いやりが必要だということを、気づかせてくれます。




初夢は、相変わらず、どことも知れない、猥雑な近未来の中で生き残ろうともがく自分でしたが、大変面白い夢でした。

おかげで、夢を見ることで、現実との接点が遠のいてしまうことを、思い出しました。

眠る時というのは、あの世と繋がる時間だそうです。
その繋がりを深めることで、現実とのバランスが取れていくそうなのですが、
ここ数日、久々に自分にご褒美という名目で、深く長く時間を取っていました。
おかげで、たっぷりと色々な面白い夢を見ることができたのですが、現実の時間が恐ろしいほどに早く過ぎていくことを忘れていて、起きると、軽く10時間ほど過ぎている事が何回か起こり(早く気付けよ・笑)、眠るのが怖くなりました(笑)

夢というのは、ある種、現実ともあの世とも違う、狭間の世界。
自分であり、自分ではない。
現実であり、現実ではない。
あの世であり、あの世ではない。
すべて、中途半端なところにあるものです。


その世界に足を掬われると、戻れなくなってしまいます。
なぜならば、きちんとその分の現実の時間が過ぎていってしまい、
現実で体験できるはずの時間が、どんどん失われていくことになるからです。



現実化をする事が、現実の自分を形作ることになるので、現実に使える時間が減るということは、現実の自分がどんどん薄くなっていくという事に繋がるわけです。



これ、ニートが、ゲームばっかりやってるのと一緒ですね。
ゲームの中での経験は、現実ではないので、一生時間をそこにかけても、現実は全く変わらない。
ただ、脳内では達成感や喜び悲しみを味わうため、なんとなく生きてる喜びを感じてる風というのが、また悲しい現実。
ニートさん達が失ってっているものは、とても大きい。
しかし、ニートが生きていけるのは、豊かな国だけなので、ある意味、先進国特有の病でもあるのかもしれません。
どうせお金に困ってないのならば、もっとクリエイティブな社会に還元できる面白いことをすればいいのに、とも思うけれども、まあそもそもそういう人は、ニートとは呼ばないか。
・・・なんて言うのだろう、そういう大富豪の贅沢な遊び方みたいのを知っていて実行している人のことを?
知ってる人がいたら、教えてください。
あ、「貴族」!?
違うか。
社会認定されている知識階級ではなくて、ニートのような社会文化ワードが知りたいな~。




この、「モノ」という現実の物質の世界において、意識にあるものを現実で現実化するには、「時間」と「手順」が必要になります。


この「時間」と「手順」。
これは、経験値という差が含まれるので、あっという間に現実化できる人と、何十年もかかる人が出てきます。

ただ、この経験値というもの。
すべて、自らが経験しなければいけないかというと、そうではない。

人類が進化した過程で、すべての人が利用している、「社会が既に経験したこと」つまり、人の経験を利用すればいいのです。
この「人の時間を利用する意識」がより深まると、人へのリスペクトが深まり、より堅固な人との関係性が作れるようになります。

何か、取引的ないやらしさを感じる人は、きっと、搾取することしか考えてない人でしょう。
「人の時間を利用する」ということは、
相手にも、自分の時間を利用してもらうということです。

現実は、すべて「等価交換」の原則が働きます。

何かを得たければ、何かを先に投資する。

現実化というパワーを使いたければ、現実化するために、人に自分が今まで時間をかけて積み重ねてきた知識や経験をシェアすることで、そのパワーが得られるわけです。






私たちは、砂漠で生まれました。
いえ、正確に言うと、地球で生まれました。
いつの間にか、砂漠になっちゃった。

地球には、長い長い時間が過ぎています。地球はとても長生き。

でも、私たちの生は一瞬で終わります。

だから、時間を無駄にしてはいけません。

何を自分は成し遂げたいのか?

夢の中ではなく、現実で自分が起こせることの限界マックスのことは何なのか?

考えてみませんか?




元旦というものは、人類すべてが、24時間かけて祝祭に意識を向ける瞬間です。
他の地球上の生命体である植物たち動物たちには、起こせない一瞬です。

すべての人が「PEACE」を願ったならば、簡単に叶うでしょう。
すべての人が「進化」を願ったならば、簡単に叶うでしょう。

そういう瞬間なんです。本当ですよ~~。



人の進化の証は「モノ」です。
この「モノ」。進化の証であるとともに、これには問題が含まれています。
モノは劣化します。だから、「今」に合うように、作り変えなければいけません。修復する必要がある。

細胞の生命活動も、修復の繰り返しです。修復し、再生する。

修復が、現状維持ではなく、進化へと進歩するには、私たちの意識がとても大事で、
過去を振り返り、長い長い下に伸びる階段を眺める必要があります。

今の日本も、見直しが必要な時期に来ています。
高度成長時代に作ったものたちが、どんどん劣化して寿命を迎えつつある今。
現実の問題だけでなく、過去に堆積してそろそろ表出する問題にも対処しなきゃいけない時期に来ています。

だから、
本当に、この方向に自分は階段を作り続け登り続けてもいいのかな?
本当に、自分が行きたい方向に行けてるだろうか?

という質問を、常に自分にする必要があります。

そして、そこに、愛と思いやりはあるのか、問うてください。
上を向き、相手の心に意識を広げ、本物の未来を創っていくために。
過去の間違いを正すチャンスを、私たちは、目の前の子どもたちを見ることで、気づくことができます。
今、目の前にいる子どもが、私たちの「未来」です。
この子どもたちが、将来どんな地球に暮らすことになるのか、想像をすることで、私たちは、未来を見ることができるのです。

この地球上に生きる私達が、この世界を作ります。

「わたし」という一人の力はとても小さなものです。
けれども、「わたし」は、「わたし」が会う人すべてに、笑顔という幸せを渡せる可能性を持っています。
誰しもがです。

人には、「笑顔」を作る、という機能があります。

ただ、「笑顔をつくる」
それだけで、相手に「笑顔」を渡せます。

愛と思いやり。

何をもって表現すれば良いのか悩む人は、鏡を見て、笑顔の練習をしてみてくださいね~。

私は、してます(笑)。ホントにホント。
理想は、赤ちゃんの笑顔です。がんばります。できるまで!

えっがおーー☆(^▽^)にこー☆


砂漠にいって、通用したものは、笑顔のみでした!!!(笑)

笑顔は、地球上の生きとし生けるものすべてに、愛を注げる手段です。練習しない手はありません。


笑顔。(^^)作っていきましょう。


上を向いて、笑顔で、未来を、創っていましょう☆



新年の挨拶にかえて、
徒然なるままに書いてみました。



めでたきこの日をみなさまと迎えられることに、深く深く感謝いたします。


ありがとうございます。(^▽^)


賀正2013


2012年という年が暮れていきます。
みなさま今年一年、本当にお世話になりました。
今年一年という年は、変わろうと意気込み、チャレンジした年でした。
結果が出たものもあれば、来年に課題を残すものもあり、充実した一年でもありました。
この一年を振り返ると、本当に大勢の人に助けられてここまでこれました。
本当に深く深く感謝しています。
まだまだ成長途上、夢なかば、地道に自分が今できることを積み上げ、
来年、もっと力を磨き、実力をつけ、もっと社会の役に立てる人間になれたらと思います。

希望という光が、みなさまの心に輝き続けますように。

世界中の悲運から亡くなられた大勢の御霊が安らかに眠れるよう、お祈りいたします。


ニュージーランドでは、日が明け、新しい年が始まっています。
元旦の新しい光が、地球を一周します。
(^^)ワクワクしますね☆
世界中が、一斉に同じ祝祭の意識へと気持ちを向ける瞬間です。
これが24時間続きます。

世界中のみんなが、穏やかに新しい年を迎えられますように☆

田中絵里子
ハルシオン。


闇が明ける。


長く続いた闇の期間が、とうとう終わる。



光が、遠くから差し始めているのを感じる。


光が。



何かが起こる。




自分を信じよう。




力に巻き込まれてはいけない。



自分を信じよう。



光は、内側から外へと生まれる。



光の扉を開くのは自分。



光を信じよう。


自分の持っている光を信じよう。



遠くへと解き放とう。


広く世界へと広げよう。



自分の力は、光であること。それだけは、本当に間違いはない。


自分を信じよう。



Anything Could Happen







ハルシオン・・・ギリシャ神話に登場する風波を静めるという伝説の鳥 Halcyon カワセミ

ハルキオーネ・・・風の神の娘

Halcyon Days・・・冬至前後の海が穏やかな日「平穏で幸福な日々」「安息の日々」

春紫苑・・・牧野富太郎命名によるこの花の名前は、春に咲く紫苑によく似た花、という意味で、「ハルジオン」と読む。


http://folli-2.at.webry.info/201107/article_2.html

今日もほぼ日。明日もほぼ日。


「やっぱりお金は賢く使わないといけないんです。
そのときに絶対に忘れちゃいけないのが
『価値に対しての対価を得る』ということ。」


対価得るという事に対する価値観というのは、本当に千差万別で面白いのですが、

やはり、

プライドを持って自分の価値を対価として受け取るというのは、

大事なことだと思います。









全てを決めろという。

自分の人生に責任を持てという。


それは、正しい。


でもね、全てを自分で決めていたら、時間がかかりすぎる。


人が決めたことだとしても、良いと思ったなら、即それを実行する。


その方が、世界をチェンジに導くとってパワフルな力になる。


組織を作り、トップがいることの意味は、そこだと思う。



人に決められたことをやるのが嫌な人は、ゼロからやってみればいい。


でも、大きなことをやろうと思ったら、一人ではできない。必ず人が必要だとすぐに気づくはずだ。


実現させるために、自分が嫌だと思った、組織を作ることになる。


人の手を借りて大きくするには時間がかかる。それでも、それをやりたいと思うならやるべきだ。


自主性ってなんだ?


私たちは、嫌なことはやりたくない。


やりたいことをやりたい。


私たちは、それが本当にやりたいことかを考え、選ぶことだけをすればいい。


その「選択」こそが、自主性。


誰かのいいなりになる、
歯車になる、

それは決して悪いことではない。


もし、自分が何をなすべきか、しっかりと分かっているのならば、

自分が目指す、大きな志の前では、そんな問題など、とても些細なことだということがすぐ分かるだろう。


あなたが目指すものは、なんですか?



世界を見よう。


そして、本当に自分がやるべきことをしよう。



あなたの一歩から、世界は、変わる。








最近思うこと。




母が50代という若さで亡くなった関係で、


父にはとにかく長生きして欲しいと思い、


いろいろな健康法を試してきたけれども、


父が、もう十分生きてるけどね、と言った時に、


ああ、私、健康を押し付けてるんだな、という事に気づきました。




父はもう74歳。


社会的には、後期高齢者。


もう父が楽しむべきは、「楽しくいること」。


クリスマスカードの活動で大変な忙しさの中、とても引退した人がするような仕事ではない量をこなしているけれども、


本当はもっと、孫と余生を楽しくのんびり暮らしていくステージに入っているんだよな、と思いました。


私は父と健康でいたいから、と思っていたけれども、


私の健康と父の健康では意味が違う。


私のような30代の健康は、やりたいことを思いっきりやり、そのストレスに打ち勝つ体力と健康を維持するということが主眼。


父のように、もう全てをやりきってきた世代の人には、私がやっている健康法はオーバードースで、そこまで必要ではない。




では一体何が、父にとって誇りと喜びを生む状態になるかと考えた時に、


「私」か、と思いました。




今の私は、とても親を養える状態ではなくて、親がやりたいと思うことを、やりたいというタイミングでやらせてあげることはとてもできません。


だから、今は無理。


では、何がと考えなおした時に、


私が、社会にどれだけ役に立っているかということを示すことが、父にとって誇りになるのかなと思いました。




私自身が、社会的貢献には興味があって少しは行動してはいるけれども、地位や権力、表彰といった、目に見えるものがとても嫌いで、遠ざけてきました。けど、


父にとっては、それこそが目に見える形で示せるもの。




社会で活躍することの意味が、私の中で変わって来ました。


自分の為にはがんばれないけれども、


父の為ならがんばれる。




私の才能が、誰かの為になるならば、最大限使う。


そのことが、父から受け継いだ才能を示すこと、父の能力の高さを示すことになるのならば、


私は、できると思う。




父と母が私に与えてくれたものを、今、お返ししたい。


母に返すチャンスはもう無い。


でも、今なら、父に返すチャンスがある。




何としても、形にしたいと思います。




















昨日、父が中央大学まで足を運び、通信事業系?のメディアの取材を受けてきました。Yahoo!ニュース?かなんかに載るそうです。

記者さんは長年CSR部門で働いていた関係でこういったボランティアという、一般社会人の公共の活動における重要性についてよく理解されている方で、
「本当の『【絆】社会』に変われるかどうか、それとも元に戻ってしまうのかどうか、今が日本の瀬戸際だと思います」
と語っていたそうです。

まさしく父と話している、
「会社の中の自分」だけに価値を置くのではなく「社会の中の自分」を確立させる公共(ボランティア)活動を、
会社が奨励した方が、
自ら考え行動する社員教育に繋がり、社員一人一人に、自らは会社の顔である自覚を促し、ひいては会社のイメージアップなどにも繋がると考えていた事とリンクし、共鳴するものがありました。

震災以前は、公共の活動に参加するのは、CSR部門の人だけだったそうです。
ですが、幸いにというか何というか、昨年の大震災のおかげで、(仕事より別の活動に力を入れる事に会社は良い顔をしなかったという風潮があった)ボランティア活動に、会社に引け目を感じずに、みんな参加できるようにはなってきたようで、会社だけではない自分というものに、重要性を見出すようになってきたと。

今、実際に被災地のボランティア数は激減しているそうで、
やはり今の段階では、個の行動だけでは限界で、会社という組織レベルで、「公共に貢献する事で、会社の貢献に繋がる」という意識付けを社員に働きかける方が、絆社会の基盤作りになるのではないかと考えています。

今回いくつかの企業で、会社としてカードは送れないけれども、社内で連絡して有志で送りたいと思います。という連絡を頂いてます。
大げさな寄付ではなく、たったカード一枚の話ですから、企業にとって大した労力ではないはずです。
それでも、会社の名前では出せない。でも個人としては出したいという純粋な気持ちを表明してくれて、会社という枠ではなく、個人として社内にいる仲間を動かし、リーダーシップを働かせていく、という判断をしてくれる方々がいる事は、本当に本物の絆社会への発展への可能性を感じさせます。

こんにちは。

みなさんは、失くなることへの恐怖はありますか?

私は、あります。

ITベンチャーの会社にいたもので、何度も会社が潰れ、家族のように仲が良かった同僚ともしょっちゅう離散。

母もガンで死に、家族6人も、いろいろあって、バラバラ。(こちらは不幸でバラバラなわけではないです。)

だから、一緒に何かを誰かと始めることに、強い恐怖を感じていました。

そして、一緒に誰かと始めたことは、とっても最高に嬉しくて幸せで、終わることに、強い恐怖を感じていました。


でも、今、新たなベクトルが心に加わり、

私の中で、「完了する喜び」を感じ始めています。


私の師匠のひとりに、武士道を愛する、プロフェッショナルメーキャップアーティストの方がいらっしゃるんですが、


「完了したら、確かに、そこで一旦その仲間とは別れるかもしれない。

 でもね、そこから始まるのよ。」

と、言われたのです。


「新たなステージに上がれるの。あなたも、その仲間も」


師匠のその言葉に、私の足下に、光り輝くエレベーターの床が現れました。


その床は、ゆっくりと、上に上に向かっています。


同じエレベーターの箱の中に、仲間がいます。


上を見上げると、うっすらと、次の階が見えました。


私は思いました。


「ああなんだ、すぐそこじゃない。あそこに行ってみたい。」


未来に目を向けるってことが、

とても簡単なことなんだってことが、分かりました。


この光のエレベーターに乗り続ければ、いい。


仲間と、上を見上げていけば、いい。


きっと次のステージに行ったら、ドアは開かれ、みんな、それぞれそのステージを冒険しに行く。


そしてまた、エレベーターに乗り込み、次のステージを目指す。


その時にエレベーターの箱の中にいるのは、新たな仲間かもしれない。それとも、同じ仲間のままかもしれない。


私は、ワクワクしてきました。


なくなることってないんだなって、思いました。


早く、今、目の前のこれを完了させたい。

そうしたら、次のステージにあがれる。


次に早く行きたい。あんなに次のステージが近いのなら、早く次ぎに行きたい!!!



私は、師匠のおかげで、次の光のステージにいけそうです。


師匠!ありがとうございます!!!