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つづき;

 

 ハーストの作品にはホルマリン漬け以外にも、生き物を使ったものがある。死んだハエや生きたハエ。作品の中で死んでいくハエ。蝶。
 これも、作品のために生物を殺したとか、作品の中で生物を殺しているとか、批判が多い。

「Let's Eat Outdoors Today」(今日は屋外で食べよう)(1990-91)

 


 ベルリンのギャラリーHaunch of Venisonで2010年に見た。(ギャラリーでありながら、いろいろなタイプのハーストの作品20点近くを集めた充実の展覧会だった。)

 二つの部屋に分かれた巨大なガラスケースの作品。屋外のバーベキューの風景。白いプラスチックのテーブルとイス。ガラスケースの中にはハエがいる。ころころとずいぶん大きなハエだ。

 床にはまだ新鮮で生々しい血が流れている。この血をたどると、牛の首がある。でかい。切断面がグロい。なんでこんなに血が新鮮なのだろう。

 牛の顔にはハエはほとんど付いていない。テーブルの上には料理が並べられ、料理が食い散らかしてある。ハエはそこにたかっている。特に、ワインらしきもののグラスにいっぱいたまっている。溺れているのもいて黒い液体になっている。
 (「一千年」もハエは牛の頭を餌にしているわけではなく、すみに置かれた容器の砂糖と水で生きている、という記事を読んだ)。

 大きな作品をすみずみまで見る間、びっくりの連続だった。仕切られた隣のセルに近づくと、側面からいっせいにハエが飛んだ。恐ろしい量の大きなハエがいる。鉄板の上に生肉が並べられている。その下の段に、黒い容器に土が入っているようだ。ハエや幼虫(ウジ虫)がびっしり見える。どうやらここで生まれているようだ。どこから移るのかと思って見ていると、二つのセルの間の壁に穴があった。ここから隣に渡っていっている。
 そしてテーブルの天井には、殺虫灯(青い光で集まってきたハエを感電死させる)が下がっている。作品の中で生まれたハエが、ここで死んでいく。

 伝説的な作品「一千年」(1990)と同時期に作った作品であり、「一千年」をベースにいくつかの要素が加わっている。

 楽しい食事のあとで食卓で朽ち果てるものと、そこにたかるハエ、そしてハエの死。古典のヴァニタスの立体版。でもそこに生きたハエを飼っているのが凄い。



「A Thousand Years」(一千年)(1990)


 88年に自主企画展「フリーズ」展で注目されたものの、初期のハーストの作品は、地味でつまらないものが多いように思う。「スポットペインティング」(カラフルな丸を並べるだけの絵画)、「薬品キャビネット」(薬局の棚を模したような、薬の箱が並んだ棚)という、その後も長く作り続ける作品のほか、カラフルなフライパンを並べて壁にかけた作品、カラフルな積み木みたいなものを組み合わせて壁に貼った作品など、ミニマルアート寄りでつ全然衝撃的でない。

 そんな中で突然すごい作品を発表する。「一千年」はゴールドスミス大学を卒業した翌年1990年(25歳)に制作された。

 2つの部屋に分かれた大きなガラスケース。シンプルな要素でできている。一つのガラスケースには、立方体の箱、この中でハエが生まれる。
 小さな穴を介してつながったもう一つのガラスケースには、床に牛の首が置かれ、血が流れている。同じ部屋には殺虫灯がある。牛の首を求めて集まってきたハエたちは、殺虫灯で殺される。

 本物の牛、生きたハエ(展示中に生まれて死んでいく)を使い、ガラスケースの中に生と死のライフサイクルが完結している。


「In and Out of Love(White Paintings and Live Butterflies)」「In and Out of Love (Butterfly Paintings and Ashtrays)」(愛の内と外(白い絵画と生きた蝶)、(蝶絵画と灰皿)) (1991)

 1991年にギャラリーの1階と地下を使って発表された。「一千年」ではガラスケースの中にライフサイクルがあったが、今度はライフサイクルの中に観客が入り込むことができる。大量のハエがいるガラスケースには入りたくないが、本作では美しい蝶のライフサイクルを示す。

 1階の部屋では、白いキャンバスに蝶の蛹(さなぎ)が並べて取り付けてある。会期中に成虫となって蝶が部屋の中を飛び回る。キャンバスの下には棚が取り付けられ、植木鉢の花が並んでいて蝶を引き付ける。白いテーブルにはフルーツ盛り合わせが置いてあり、蝶が果汁を吸う。花、果物、美しい蝶、楽園のような空間(蝶にとっては部屋に閉じ込められて楽園でないが)。
 対照的な地下の部屋では、死んだ蝶が美しい絵画になる。一色に塗られたキャンバスに、死んだ蝶の美しい羽根が貼られている。異質な要素として、白いテーブルには果物の代わりに灰皿が置かれ、吸い殻が入っている。

 上の階は蛹から始まって死ぬまでの蝶のライフサイクル。蝶は下の階で人間の生活に取り込まれ、壁を飾る絵画となっている。生と死の対比だけでなく、蝶の生活と人間の生活の対比。
 ハーストはこの作品について「愛とリアリズム」とか「アートと生活の対比」ということを言っている。上の階が愛にあふれた理想の世界、下が現実の生活、という対比かもしれない。


「Kaleidscope」シリーズ

 


 ステンドグラスを思わせる、上側のとがった形のキャンバスに、大量の蝶の羽で幾何学模様を描く。

 キャンバスに几帳面に規則的に、蝶の羽を貼り付けている。
 ハーストの作品で最も美しい作品かもしれない。離れてみればステンドグラスのようなカラフルな幾何学模様が美しく、近くで見ると美しい蝶の羽が見える。

 美しいが、キャンバスの上にあるのはたくさんの「死」である。個々の生命だったものが、集合して幾何学模様の一部になる。

 Butterfly Paintingを3点、横浜トリエンナーレ2011で見たことがある。
 シンメトリに蝶の羽根を並べている。油彩で描いたようにも見える部分があるが、違う。特に上側がとがった形の一点は離れるとステンドグラスのようで美しい。赤や青の蝶を色ごとに円形に貼っている。円形の作品は蝶の片羽根ずつ、ランダムな感じでしかし対称に貼っている。


「Har Megiddo」(2008)

 

 

 死んだ蝶は美しい作品になるが、死んだハエを使うと恐ろしいペインティングになる。
 
 2010年ベルリンで見た。
 黒く丸い絵。しかし近づくと違う。ハエだ。死んだハエがびっしり。茶色い幼虫もときどきいて気持ち悪い。でも離れて見ると黒いペインティングになる。

 ハーストのFly Paintingの最初の作品(1997年)は、やがて劣化して、購入者が保管できないほどに悪臭が発生したという。後に、ハエと透明な樹脂を混ぜるという技術革新があった。自分の見たFly Paintingはもちろん悪臭はなかった。

 ハーストにとって黒は死を表す。

 黒いハエでびっしりと覆われた頭蓋骨、という作品(Fear of Death (Full Skull)(2007))も作っている。

 

 

つづく