のりものバンザイ‼︎スーパーとっきゅう大集合!私鉄特急 | naoyaのブログ

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思いついたらいろいろ書きます。コメントは基本的に見ません。ご理解のほどよろしくお願いします。

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あさぎり
2社の協議によって「相互直通運転車両の規格仕様に関する協定書」に基づいた設計となり、編成の内容や定員・性能・保安機器などは極力合わせ、それ以外の部分については各社ごとの特色を活かす方針となった。この結果登場したのが371系とこの20000形ロマンスカーなのである。このため、特急ロマンスカーとしては2300形以来の通常のボギー車となったほか、前面展望席も設置されないことになった代わりに、中間に2両の2階建て車両を連結。
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小田急ロマンスカー
この当時、観光バスなども高床車(ハイデッカー)が導入されており、他鉄道事業者の車両においても高床(ハイデッキ)構造の観光用車両が登場していた。また、この時期におけるレジャーの傾向は多様化が進んでおり、ゆとり以外に「一味違ったもの」が求められていた。これらの要求に対応するために、前面展望席や連接構造はNSE車・LSE車から踏襲する一方、展望席以外の乗客も車窓の眺望を楽しめるように高床構造とした上で、車両内外ともにカラーリングを変更し、イメージの一新を図って登場したのがHiSE車である。
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タンゴエクスプローラー
第三セクターの北近畿タンゴ鉄道が宮津線を引き受けて開業する際に、同社の看板車両たるべく意匠を凝らして新造された、第三セクター鉄道では初の本格的リゾート特急用気動車である。「タンゴエクスプローラー」の車両愛称を持ち、2011年3月までは同名の特急列車に充当された。外観は先頭部の傾斜が異なり、第1編成の外板塗色がゴールドであるのに対し、第2編成はやや白っぽいシャンパンゴールドとなった。内装では車内の座席モケットの模様などが異なるほか、中間車の設備も変更されている。
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レインボーリゾート
タンゴエクスプローラーが登場するまでのいわゆる繋ぎの特急。キハ58系改造でエーデル丹後やエーデル鳥取の兄弟。タンゴディスカバリーと入れ替わる形で1996年引退。
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スカイライナー
1973年春に予定されていた新東京国際空港(成田空港、現・成田国際空港)の開港に併せ、日本初の空港連絡特急専用車両として1972年
に6両5編成30両が東急車輌ならびに日本車輌で、その後新東京国際空港開港前の1977年に6両1編成と開港後の1978年に6両1編成が東急車輛で、それぞれ製造された。
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ニュースカイライナー
2代目の「スカイライナー」用車両として、1990年(平成2年)6月19日に営業運転を開始した。営業運転開始当時は「ニュースカイライナー」とも呼ばれていた。当初落成した2本は、1991年の新東京国際空港(現・成田国際空港)ターミナルビル乗り入れに備えてAE形を8両編成化する際、その不足分を補うことを目的として新製された。
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東武スペーシア
車体は東武鉄道で初めての採用となるオールアルミ合金製とされ、軽量化と低重心化が図られている。また客室の静粛性に特に配慮した結果、床部分の厚さが先代特急車の1720系の50mmから130 mmと大きくなった。客用扉には外開式のプラグドアが採用され、側面の平滑化が図られた。車体塗装は、登場当初は6050系に倣い、ジャスミンホワイトを基調にパープルルビーレッドとサニーコーラルオレンジの帯を巻いており窓回りを黒としていたが、後述するリニューアル工事によって現存しない。
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近鉄さくらライナー
阿部野橋と吉野を結ぶ吉野特急は1965年に運転を開始して、1990年で25周年を迎えた。これを機にさらなる高品質の輸送サービスを提供するために投入されたのが26000系である。車体をはじめ内装は21000系アーバンライナーのデザインを流用するも、飛鳥、吉野路を走行するにふさわしい観光的要素でリファインした。1990年3月15日ダイヤ変更から営業運転を開始した。本系列は車両構造・技術面において過度期の特急形車両であり、新旧を織り交ぜた構造・機能を多分に有する。つまり、運転台の2ハンドルディスクをはじめ、ドア上部のフリーパターンディスプレイ設置、肘掛内蔵式の座席テーブル、前照灯の4灯化など、今後のスタンダードとなる装備が採用された。
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近鉄アーバンライナー
近鉄難波(現・大阪難波駅) - 近鉄名古屋間の名阪ノンストップ特急の専用車として、1988年(昭和63年)1月に、6両3編成(18両)が近畿車輛で製造された。同年3月18日より、1日6往復体制で営業運転を開始した。その後も増備され、1990年に名阪ノンストップ特急の全列車が本系列に置き換わった。のちに乗客増により中間車を増備のうえ8両編成も登場した。基本的に名阪特急で運用されるが、大阪難波 - 近鉄奈良間や近鉄名古屋から伊勢志摩方面の一部の特急にも充当されている。
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京阪8000系ニューテレビカー
当初、本系列は、1989年の鴨東線の開業に伴う特急用車両の所要本数の増加分と3000系に存在していた6両編成を7両編成に統一するために必要となった中間車のみを投入する計画で、まず7両編成1本と中間車5両が製造された。3000系に組み込む中間車の車両番号を、製造順ではなく8552・8554・8564・8566・8568として竣工させたのは、組み込み先の3000系の車両番号に合わせていたためである。
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阪急特急2000系
デザインは直線と平面を基調としたシンプルな形状となったが、前面は三面折り妻とされ、前面・屋根・裾部に丸みが付けられた。また、通風は1010系などと同様の軸流送風機によるファンデリアを用いた強制換気であるが、同系列などで問題となった複雑な屋根構造は廃され、換気用のモニター屋根と呼ばれる通風ダクトを本来の屋根構造とは独立して全長に渡って搭載する構成に変更され、構造の大幅な簡素化が実現した
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阪神特急8000系
本系列は1984年から1996年まで12年間にわたって製造された。その間3回のモデルチェンジを行ったことから外観上さまざまな形態が存在するほか、内装をはじめ台車や搭載機器などもモデルチェンジにつれて変化しており、最初に登場した編成と最終増備車では同一系列に見えないまでの差異がある。このため、外観上の視点から本系列はタイプI(第1次車)、タイプII(第2 - 第4次車)、タイプIII(第5 - 第12次車)、タイプIV(第13 - 第21次車)の4タイプに分類することができる。
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南海サザン
先頭車は運転台後方と連結面側車端部の両端2か所に出入台を設けており、側面に2か所の折戸を設置しているが、中間車は出入台が1か所のみに設けられており側面1扉である。中間車化改造された車両は運転台とともに出入台も1か所が撤去されている。側面窓は1985年に製造された車両は30000系と同形の窓で、1992年に製造された中間車は11000系と同じ連続窓風の窓である。
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西武レッドアロー
西武において多数の実績を有する軽量形鋼を多用した20m級全鋼製車体であるが、居住性向上を目して車体幅を従来車よりも約100mm拡幅した2,904.6mmとし、車体裾部ならびに窓上部に傾斜(絞り)が設けられたいわゆる裾絞り構造とされたことが特徴である。なお、車体限界抵触を回避するため車体高はその分低く取られており、従来車と比較して130mm低い3,533mmとされている。
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名鉄パノラマスーパー
名古屋本線東西直通40周年にあたる1988年(昭和63年)7月8日に営業運転を開始した。設計コンセプトは「ハイ・アメニティ(快適性)・エキスプレス」。折からの好景気もあり、一挙に4両組成9本36両が投入された。以後、1997年(平成9年)までの9年間に合計で4両組成21本84両が落成している。
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伊豆急行リゾート21EX
伊豆急行の2100系のうち、第4編成には他の2100系と違いロイヤルボックスが連結されている。このロイヤルボックスの中はハイルーフでトンネル内ではイルミネーションが光る仕掛け。