平塚為広公モデルの垂井町飲食店組合のキャラクター「たるいのためにゃん」に会ってきたおんぷ




それから、歴史系アーティスト「さくらゆき」さんのライヴを堪能心




さくらゆきさんとの初めての出逢いは関ヶ原

ためにゃん誕生の切っ掛けも関ヶ原


ファーストアルバムの発売日でもありましたキラキラ






ライヴではその中からは3曲(もう一曲は『昴の彼方』)の披露



本多忠勝公イメージソング『天下無双』

藤堂高虎公イメージソング『七夜の星』

宇喜多秀家公『辺照』

全体的にはこれまでにあまりないハードなロック調の曲

アルバムジャケットは言わずと知れた諏訪原寛幸氏の武将画

諏訪原寛幸氏の武将画のグッズを手掛ける「七大陸」さんのブースも合戦祭では、歴史民俗資料館前の駐車場に出店されていますビックリマーク

何かと帰りには荷物も増えるので、真田幸村公のお土産バッグ




デカイ!!

他には織田信長公・伊達政宗公バージョンも

さくらゆきさんのジャケットにも使用されている本多忠勝もいる、徳川家康公顕彰四百年記念・徳川四天王饅頭




葵の御紋がドンとビックリマーク


私の大好きな物が詰まった関ヶ原合戦祭初日でしたキャハハ







先日、別件で岐阜県の垂井町に行って来ましたので、僅かな時間で関ヶ原合戦の史跡に行って来ましたキラキラ

岐阜県の一宮である南宮大社



こちらの神社は謎が多くて、面白いのですが、今回は省略あせる

毛利秀元公の陣跡には、南宮大社の脇から南宮山ハイキングコースがありますので、分かりやすいです

安国寺恵瓊の陣跡を見ながら登って行きます


このお山は、非常に鹿と遭遇する確率が高いですビックリマーク(今回3回目の登山で、2回遭遇)

実害はありませんが…

南宮大社から、毛利秀元公陣跡までは普通の方なら、1時間掛かると思って下さい



関ヶ原合戦って何はてなマークって聞かれたら、南宮山の毛利秀元陣跡や南宮山麓の長宗我部盛親陣跡に行くか、徳川家康公の陣跡である美濃赤坂の岡山(勝山)に登って見たら、分かると答えますね


毛利秀元公陣跡は関ヶ原方面は臨めないとは、よく聞きますが、では何が見えるか?



がーんガガーン

この日は2度のゲリラ豪雨の襲ってきた合間だったので、見えません

これではあまりにも何なんで、ご参考まであせる


因みに、毛利秀元公が南宮山に陣取ったのは、9月7日(旧暦)。宇喜多秀家公が大垣城に入ったのは、9月3日。小早川秀秋公が松尾山城に入ったのは、9月14日。

一方、東軍の黒田長政・藤堂高虎・田中吉政が赤坂の岡山に陣取ったのは、8月24日。大垣城、赤坂の岡山、南宮山のほぼ中間点に位置する西軍方の長松城が落城したのは、8月28日。徳川家康公が岡山に入ったのは9月14日。

この事を念頭に入れながら見ると…

何が見え、どう感じるかそれぞれ個々によって違うと思いますが、それもまた歴史の楽しみ方

最後に9月15日には、関ヶ原検定が開催されますよ

関ヶ原検定公式サイト
先日は、司馬遼太郎記念館の企画展『播磨灘物語と黒田官兵衛』を見に行ってました




司馬先生が播磨灘物語の資料とされ、所々に赤鉛筆で印のある「播磨國細見図」に釘付けキラキラ

司馬遼太郎記念館の南に位置する彌榮神社(いやさかじんじゃ)は木村重成公の伝説地であります




説明板に依りますと

『彌榮神社北側の一段高いところは、 中小坂の村落を洪水から守るために築 かれた堤の跡です。大坂夏の陣のとき、若江で陣を張っていた豊臣方の武将木村重成が大坂城の救援に向かいここまで来たとき、大坂城が炎に包まれていたため、馬の上に立って大坂城に 別れを告げ、再び若江に戻って戦死しました。このことからここを馬立(うまんたて)と呼 ぶようになったと言われています。 平成13年3月 東大阪市』と書かれています




突っ込みところは幾つかありますあせる

木村重成公の亡くなった日と大坂城の落城日の相違は皆さん気付く事なので、深く追及せずにスルー

今回、私が云いたいのは馬立

馬立と云う地名は各地にあります

「木村重成がここまで来て、馬の上に立って…

曲乗りじゃねぇ~しビックリマーク

馬立には大きく二つの意味があります

一つは古代の駅の馬家のあった場所や宿場の継ぎ立て馬のいた場所

もう一つはただ単に馬を停めて、繋いだ場所(つまりは駒繋ぎと同義語・よくある駒つなぎの松とかと云うもの)

彌榮神社の馬立も本来は駒つなぎの○○と云う意味であったものが、いつしか馬の上に立ったと云う風に変わってしまったものだと考えています

伝説・伝承とはそう言うものですから…


彌榮神社:東大阪市中小阪2丁目3-22