サッカーのアジアカップも決勝トーナメントに進み、我らの毎熊選手(セレッソ大阪所属)がグループステージのベストイレブンに選ばれたということで、喜んでいたのですが……

日本代表の伊東選手に関する告発記事が某週刊誌にあがり、紆余曲折の末、代表離脱が発表されました。

 

双方の主張が真っ向から対立している上に、両者の告訴状が警察に受理されているなら、ここからは警察の仕事です。

 

どちらに転ぶか分からない状況で、選手や被害を訴えた女性を叩くのは、双方の心を傷つけ、後者がエスカレートすれば被害者が被害を訴えられない社会になる恐れもあります。

喜ぶのは週刊誌だけなので、加担するのはやめましょう。

 

それとは別に、今回の決定を受けて、選手を守らなかったという批判がおこっていることについては、少し違うのではないか? 代表の成績に文句がつけられないから、今回の決定を協会(会長)批判に利用していないか? と感じました。

 

日本サッカー協会に選手を守る気持ちがなければ、週刊誌の記事が事実だと思っているなら、選手は「離脱」ではなく、代表を「追放」されたでしょう。

 

「離脱」という、負傷した選手にも使う表現を用いたのは、選手を信じている証拠。しかし選手を過剰に守れば、被害を訴えた女性が虚偽告訴をしたと主張するに等しく、セカンドレイプの危険性がでてきてしまう。

 

代表離脱の決定は、双方に配慮したギリギリの落としどころだったのではないかと思いました。

 

 

あくまでも個人の意見ですが、協会や会長を批判するなら、一度は発表した「離脱」の決定をくつがえそうとした過程を批判するべきです。

 

伊東選手の人となりを私たちよりも知っていて、共に戦ってきた代表選手が「残ってほしい」という気持ちを伝えるのは理解できますが、選手の感情を優先して一度は決めた判断をくつがえそうとしたサッカー協会は、問題のセンシティブさについて理解していない。

(センシティブ=取り扱いに注意を要する事柄)

 

スター選手の意見に左右されたり、内部情報を話してしまう姿は、ロシアW杯でおこったハリルホジッチ監督の解任劇やポーランド戦のスタメン漏洩にも通じるでしょう。

 

※最初に「推定無罪の原則から、アジアカップが終わるまで代表に帯同させる」と発表していたら、それはそれで納得のいく決断だったと考えます(コロコロ変えるのが悪手)