いつも、「俺の肺がん日記」にお立ち寄り頂きありがとうございます!
ヘルパーさんの来訪日でした。カレーとポテサラをお願いしちゃいました(*´∇`*)
あらかじめお願いしたい事を書き出しておいて、お金を預けて買い物をして貰ったり、掃除や料理をお願いしたりしているのですが、途中「寝ててもいいんですよ」と言う言葉に甘えて、今日はお昼寝をしてしまいました。
最近、足の痛み?大腿骨の根っこ?の痛みが強くてレスキューのモルヒネも1本では足りず、3本くらい飲んでやっと落ち着く有様です。
22日に診察の予約をしていたのですが、痛さに耐えきれず前倒しして15日に予約をし直しました。
参ったなぁ・・・
がん性の疼痛とは思いたく無いし、囚われるとろくな事がないのは分かっているのですが、疑わざるを得ない状況だよなあ。
元カノの付き添いでスーパーに買い物に行っても車椅子頼りだしなぁ。なんて。
二階堂さんの話では「絶対に転ばないでくんちぇ、骨転位なら骨がくっつかなくなるから」と言う事だったので、転ぶ事には気を付けようと思います。
スーパーで車椅子を借りて買い物をしていて車椅子から見る風景、と言うか車椅子から見る世界というのは、いかに不自由を感じるか?という事で、気ばかり急いてしまう事に自分でもうんざりします。
人の流れやちょっとした障害物も、思いの外、動きを制限されたりします。
俺自身も、もし車椅子の人を見かけたら、本当に気を使ってあげたい。 そんな事を思いました。
以前、呼吸器外科の先生と話した事を思い出しましました。
「半年は自分で歩けるでしょう、でもその先は多分厳しい。1年は生きられるかどうか」
昨年の11月の終わりに聞いたこの言葉、その後、放射線で最大の問題であった肺動脈にかかったがんは小さくなったとは言えまた大きくなってきていもおかしくは無いし2箇所にわたる播種もある。左肺はメタメタです。
その上、骨転位という事であればいよいよ歩けなくなる日が来るのかもしれません。
「できることはできるうちに」「やれることはれれるうちに」「行きたいところは行けるうちに」俺のモットーなのですが、いろいろな事を覚悟する時期にも差し掛かって来たのかなと、思います。
骨転位では無いと思っていますが、それでも疑ってしまう。
そんな怖さがあります。
反面、「来るなら来い!」という「負けてたまるか!」という気持ちもあります。
怖かろうが、痛かろうが、苦しかろうが、目の前に現れたら立ち向かうしかない。
痛いなら、痛みどめで潰してやる、骨転位なら放射線で焼いてやる。
「がん」だって俺の体の一部、飼い主に勝てる細胞なんて最終的には無いんだぞ!
そして、ブログを通じて読んでくれるみんなに「幸せのタネ」を届けてから死んでやる。とんな風に思います。
全国のがんで苦しむ皆さん、千葉の片田舎に住んでる俺もがんです!
一緒に闘っていきましょう!みんなにエールを送ります!頑張れ!
シンプルでありながら、飽きない。これこそが大切なんだと思います。
「負けるな」
「頑張れ」
「諦めるな」
でも。
辛い時もあるんです。
自分で自分を
叱咤激励していても、
辛い時もあるんです。
がん患者は頑張らないと
いけないの?
負けてはいけないの?
辛い、辛いと言いたい時も
時にはあるんです。
日、一日と起こる変化に
ビクビクする時もあるんです。
こんな時、どうすれば良いのかな?
自分が見えない時もある。
走って、疲れて、歩いて、疲れて
しばらく休んだらまた走ろう。
いつか来るその日まで。
いつかくるその日まで。
痛い時、起きて直ぐに胸の痛みを感じて、腰の痛みを、そして足の痛みを感じた時とりあえずレスキューのモルヒネを飲む。
一本では足りず、追加、追加で三本目まで。それ以上一気に飲むのは怖いので後はひたすら我慢。
立っていても、座っていても、寝ていても変わらない足の痛み。
手で押さえつけても変わらない胸の痛み。
前回、ベースを上げてから1ヶ月、またさらにベースを上げるしかないのかなと、思いつつ、どこまでが許容範囲なんだろう?と思ってしまう。
腰と足の痛みの原因は何?
ベッドに入っても寝られなくて起き出してしまうのは何故?
痛い時は心が弱くなる。
負けたく無いし、痛いと言う事も本当は嫌。
負けを認めたような気がして、そんな自分が嫌になる。
弱い心に忍び込んでくる影。誰もが死の直前まで「まさか自分の死期がこんなにも近づいている」とは思わないはず。
死の準備は終わっているけど、だからといっていつ死んでも良いわけじゃ無い。
そんな事を考えながらこうしてiPadに向かう。
俺は生きている間に何を残せただろう?
これから死ぬまでの間に何を残せるだろう?
俺この世に生を受けた意味は?
俺がこの歳で死ぬ事を宣告された意味は?
様々な疑問が去来する。
今この時、この時間も俺の命の一部。
でも悠久の時の流れの中で俺の生きる時間は一瞬でしか無いのかもしれない。
あと数時間もすれば、また新しい1日の始まり。
瑠璃色の空が黎明に変われば俺はまた1日分死に近づく。
緩和の患者の誰かが言っていた「寝る時間がもったいない」
寝てしまえば寝てる時間分、自分が自分の意識を持てなくなって、自由な行動ができないから。
確かに寝る時間すらもったいないのかもしれない。
せめて世の中がコロナ騒動でなければ、行きたいところ、やりたい事、見たいものは沢山あった。でもそれが許されないのが今。
俺以外のがん患者や大病の罹患者もきっと同じ事を思うはず。
命の理由とは?
死ぬまでに、これ以上しておくことは?
そんな事しか考えられない。
痛み、苦しみから解放されたい。
いつの日か痛みに、苦しみに耐えようとする心より楽になりたい気持ちが勝る時がくる。
その時が俺にとって「いつかくる時」























