外は雪真つ赤な嘘を聞いてをり 清水余人 (句集『香日向』より)
雪の白に、嘘の赤。
雪は白いと言っても、真っ白ではない。
大気中の汚れなどを巻き込んで、その色の強さは少し穏やかになる。
一方で赤は、紛うことなく真っ赤である。
正真正銘嘘である、という明らかさ。
鮮烈な赤のイメージを白さで包むような色の対比が印象的な一句だ。
「外は雪」と上五に置くことで、作者の心が外を向いていることがわかる。
嘘を聞いている自分と、心を切り離している。
あまりにもあからさまな嘘は聞き流すことは出来ないが、そこに同調することもまた出来ない。
意識を外へ逃がし、その場をやり過ごしている作者の姿が浮かぶ。
部屋の中から見る雪は、冷たさを感じない。
しんしんと降り積もる、雪の美しいところだけを切り取ることができる。
それはまるで目の前で繰り広げられている「嘘」のようでもある。
そんな一種の虚しさのようなものを感じた。
また以下は全く私の勝手な思い込みだが、掲句より吉田拓郎の曲の世界を連想した。
「ニューヨークは粉雪の中らしい」ではじまる「永遠の嘘をついてくれ」と「外は白い雪の夜」をイメージした。
そんな、歌詞になりそうな、ドラマのワンシーンのような物語性のある句である。
恋人との別れのシーンか、はたまた悪徳ビジネスに勧誘でもされているのか。
「真っ赤な嘘」の具体的な内容は何一つ描かれていない。
だからこそこの句の核は、読み手の心の中へじんわりと溶け込んでいく。
読み手の情緒を引き出すのに、雪は非常に効果的だ。
作者の描いた世界を想像しようとすればするほど、読み手自身の記憶の世界へと迷い込んでいく。
そんなことはお構いなしに、窓の外には雪が降り頻る。
(いつかの雪。gif画像でお届けします。寒くなってきました。みなさまあたたかくしてお過ごしくださいませ)
笠原小百合 記