九月二十二日(土)は勉強句会でした。
秋の涼しさを感じながら九名が集い、福永耕二についてそれぞれ発表、討論しました。
話題は福永耕二という俳人の人物像にまつわることが自然と多くなってきました。
仲栄司著『墓碑はるかなり』から読み取れる「真面目」「ストイック」などのイメージとはかけ離れた内容の資料の発表もあり、意見交換が盛り上がりました。
今回の主宰からのお話は、福永耕二の最期について。
ぼろぼろの身を枯菊の見ゆる辺に
亡くなる前に詠んだこの句を取り上げた主宰の推察は、「なるほど」と思うことだらけです。
例によって、詳細は田誌の句会報に掲載させていただきます。
わたしも主宰のような鋭い切り口で、深い思考をもって、福永耕二について掘り下げていきたいと思いました。
発表者は皆それぞれが福永耕二論を探っていて、自身の結論に近づいたり、また遠ざかったりしながら日々勉強しています。
それというのも、仲栄司さんが『墓碑はるかなり』という本を書いてくださったからです。
『墓碑はるかなり』がなければ福永耕二についてこんなに考えて悩むこともなかったかと思うと、縁とは、運命とは不思議なものだなと感じます。
この巡り合わせを大切にして、これからもなるべく多くのことを学んでいけたらと思います。
今回の席題は、『墓碑はるかなり』でも多く引用されていた一句、
浜木綿やひとり沖さす丸木舟
より、「浜」「沖」「丸」「木」「舟」でした。
句会後の二次会でも福永耕二について語り、「やっぱり勉強句会っていいなあ」と思っての解散となりました。
(道端にひっそりと、でもはっきりと咲く曼珠沙華)
笠原小百合 記