前日の好天から一転してポツポツと雨の降りだした十月二十八日の午後、勉強句会を行いました。
本日の主宰の「西東三鬼を読む」は「四つの甘え」です。
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三鬼は俳句論・作句論をほとんど書かず、実作者として身をもって俳句とは何かを示した。今回は、三鬼としては珍しい俳句論を紹介したい。「天狼」昭和二十三年一月号に掲載された「酷烈なる精神—新人諸君へ」と題した一文である。三鬼はこの中で、俳句には四つの甘えがあると語っている。
①我々は詩形に甘えた。
我々は十七音くみやすしとし、鼻歌のような十七音をもって俳句と号した。十七音という短さは鋼鉄のように酷烈なものでなければならない。春秋的精神ではなく夏冬的精神でなければならない。
②我々は技術に甘えた。
我々は己の最善の技術、俳句テクニックを楽しむ傾向がある。うまい俳句・俳人より、よい俳句・俳人、いかに詠ってあるかではなく、何が詠ってあるかを見るべきである。俳句の進歩を止めているものは技術の偏重にある。
③我々は季節に甘えた。
我々は季節を重視するあまり、春夏秋冬を一歩も出られない。俳句は自然現象を表現するものではない。季節は根元に達する門である。奥の奥に門ではなく根元がある。
④我々は分野に甘えた。
俳句は俳人同士の合言葉に従ってつくられるが、合言葉の通じない人を素人として軽蔑する、俳句をつくれない人には全く通じない、そんな文芸はどこにもない。俳句を工芸品とする人の手から文芸品としなければならない。裸で通用する俳句をつくらねばならない。
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有季定型を信条とする私たちが学ぶべきことは、よくよく考えて五七五に収めること、大切なのは技術ではなく何を言いたいか、いい加減な(動く)季語を持ってこない、俳句を知らない人にもある程度わかる、ということかなと思います。いろいろ思い当たることがあり、耳の痛い話です。
そして、句会の席題は知世さんが選んだ「子」「実」「石」「少」「深」。
主宰にほんの少しでも近づくようにがんばらなくてはと思った句会でした。
ジェットコースターのような天気が続きます。
ご自愛ください。
(千恵子記)