2017年10月の国宝を巡る旅、2日目の8日は京都 北野からスタートです
 写真は国宝の北野天満宮です


地下鉄烏丸線北大路駅で下車し、1km余り西の大徳寺に向かいました

 大徳寺は鎌倉末期の創建で、応仁の乱で荒廃した後、一休和尚が復興し、以降、豊臣秀吉による織田信長の一周忌や、山門の像が秀吉の怒りをかった千利休切腹事件など、多くの歴史の舞台になっています

総門から境内に入り参道を進むと

右手に重要文化財の勅使門がありました

突き当たりの興輪院の表門や

その左隣の瑞峯院の表門も重要文化財です


突き当たりを右に曲がり参道を北に進むとと大きな門が見えてきました

重要文化財の山門です

千利休が山門を修築した際、楼上の金毛閣に利休の木像を置いたことが秀吉の怒りをかい、切腹の原因となった逸話は有名です

山奥には重要文化財の仏殿と

同じく重要文化財の法堂が続き

大徳寺の宗務本所に突き当たります

大徳寺の方丈と唐門は国宝ですが非公開でした

その左の小道を更に北に進むと

右手に大仙院がありました

こちらの書院(本堂)も国宝ですが撮影禁止でした

小道の突き当たりには前田利家の正室まつ が建立した前田家の菩提寺 芳春院がありました

小道を戻り参道を西に進むと織田信長の菩提寺 総見院がありました

本能寺の変の後、信長の一周忌の追善菩提のため秀吉が建立したそうです

中央が信長、右が長男 信忠、左が二男 信雄の墓碑です

その左には信長の正室 濃姫の墓碑がありました

内部は見学可能で

回廊の天井には

等身大の信長座像を乗せた御輿が吊り下げられていました

次に約2km南西の北野天満宮へ向かいました

北野天満宮は学問の神様、菅原道真公を祀る天満宮、天神社の総本宮です

境内を進むと「なで牛」がありました

菅原道真は中級貴族の出身ながら第59代宇多天皇に重用され右大臣まで昇進しましたが、左大臣の藤原時平の讒言により太宰府に左遷されました

その途中、牛の鳴き声で刺客から逃れたとの逸話があります

境内の中ほどには大きな楼門がありました

その先には重要文化財の中門が

門をくぐると正面には国宝の本殿が鎮座していました

手前の拝殿と奥の幣殿と本殿が国宝に指定されています

彫刻と彩色が見事です。現在の建物は豊臣秀頼が造営したそうです


横から見た本殿の屋根です。手前の透塀も重要文化財です

道真は太宰府に左遷の2年後に亡くなりましたが、その後、藤原時平や醍醐天皇の東宮の保明親王が亡くなり、また、醍醐天皇のいる清涼殿に落雷があり公卿が焼死するなど不幸な出来事が相次ぎ、人々は道真の祟りと恐れ、火雷神が祀られていた北野神社に道真を祀ったそうです

次にバスで約9km北西の高雄に向かいました

京の北西の清滝川の渓流沿いの高雄(尾)、槙尾(まきのお)、栂尾(とがのお)の三地区は「京の三尾」と呼ばれ、それぞれ神護寺、西明寺、高山寺の古刹があり、古くから紅葉の名所となっていました

まずは高山寺へ

坂の途中にある石水院は国宝に指定されていますが

時間の都合で今回は外観のみ

苔むした石垣の参道を登っていくと

木立の中に本堂が佇んでいました

木立の中を下山し

清滝川の渓谷沿いを下り

指月橋を渡り次は西明寺へ

清滝川の清流です

石段の先には表門が

境内の紅葉は少し色づき始めていました

回廊から眺める紅葉の色づきはこれからでした

次にこの日最後の目的地、神護寺を目指します

坂道と石段の参道をかなり上った先に楼門が見えてきました

楼門をくぐると広場になっていました

右側には和気清麻呂の霊廟が

その先の石段の向こうには

立派な金堂がありました

その左には五大堂と

毘沙門堂が並び

その奥には重要文化財の大師堂がありました

神護寺は空海が東寺や高野山を開く前に一時住していだそうです


その奥では渓谷に向かってかわらけ投げをすることが出来ます

夕陽を浴びた楼門から下山します

渓流の吊り橋の下には何かの建物が

夏季には納涼床が楽しめるそうです

高雄橋を渡り「三尾」にお別れです

 翌日は大阪城南の真田丸や奈良の山辺の道を巡りましたが、それはまた次回に