先月2023年11月、近畿方面の国宝を巡ってきました。

 写真は高野山の大門です。


11月23日、今回の旅のスタートは、大阪の住吉大社です。

宿泊先最寄りの新今宮駅から南海電車に乗り住吉大社駅で下車し東側の境内に入ります。

 かつて、この辺りは海岸で、仁徳天皇が住吉津として開港したと伝えられ、遣隋使、遣唐使もここから出航したそうです。

住吉大社の"シンボル"、反橋です。

今年の大河ドラマで北川景子さんが演じた淀殿が息子 秀頼公の成長祈願のため奉納されたと伝えられています。

反橋を渡ると鳥居の向こうに社殿が見えてきました。鳥居の柱が四角いのは独特で「住吉鳥居」と呼ばれています

門をくぐると二つの社殿が並んでいます。右から第四本殿と第三本殿です。

この奥の第二本殿、第一本殿とともに国宝で、江戸後期の建築です。

奥に進むと第二本殿、

その先には第一本殿が続きます。

 住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行った海中から出現した底筒男命・中筒男命・表筒男命と神功皇后で、航海の守護神として崇敬されています。

 

 次に大社東側の住吉東駅から南海高野線で南に4駅目の堺東駅で下車し、第18代 反正天皇陵に向かいました。

 今回の旅では、実在が確実とされる第10代崇神天皇から第45代聖武天皇までの天皇陵も、駆け足で巡らせていただきました。

反正天皇陵は次に向かう仁徳・履中天皇陵とともに百舌鳥・古市古墳群として世界文化遺産に指定されています。

こちらが天皇陵の様子です。歴代の天皇陵には宮内庁の管理で、このような木製の看板と門扉、鳥居のある拝所が整備されています。

 反正天皇は仁徳天皇の第三皇子で兄の履中天皇を継いで即位されました。

 次に南に約1kmの第16代仁徳天皇陵に向かいました。

ご承知のとおり仁徳天皇陵は日本最大かつ世界最大級の墳墓で、長さ840m、幅654mもあります。但し次に訪れる嫡子の第17代履中天皇陵より新しいことから大仙古墳と呼ばれるようになりました。

 続いて約1km南の履中天皇陵へ。

履中天皇陵は日本第三位の大きさですが、周囲が全て民家に囲まれており拝所を探すのに苦労しました。

 この後、レンタカーで30kmほど東の大阪府太子町に向かいました。太子町には聖徳太子の御廟のある叡福寺や、父、伯父、叔母の3天皇の陵墓があります。

こちらが、太子の伯父にあたる第30代敏達天皇陵です。治定されている天皇陵では最後の前方後円墳です。

 次に1kmほど東、太子の叔母の第33代推古天皇陵へ。

夫の敏達天皇との子で早逝された竹田皇子とともに合葬されています。

その500mほど北には、太子の父の第31代用明天皇陵が。

この3天皇の父は第29代欽明天皇です。

次に約2km東の第36代孝徳天皇陵へ。

難波と飛鳥を結ぶ日本最古の官道 竹内街道沿いにありました。

 この後、約50km南の高野山へ向かいますが、途中の大阪府千早赤阪村で寄り道。

大阪で一番高い山、奈良との県境にある金剛山への登山道の脇から急峻な坂を登った先に、

日本100名城の千早城がありました。

楠木正成が鎌倉幕府軍と戦った難攻不落の山城です。

 次に高野山の麓にある和歌山県九度山町へ。

こちらには関ヶ原の合戦で敗れた真田昌幸・信繁(幸村)親子の蟄居跡があります。

蟄居跡に建てられた善名称院は真田庵とも呼ばれ、この地で亡くなった真田昌幸公のお墓があります。

 真田昌幸・信繁親子は第一次・ニ次上田合戦と大阪冬の陣・夏の陣で、徳川家康・秀忠親子を4度も苦しめました。

今年の大河ドラマでは佐藤浩市さん・日向亘さん、2016年の真田丸では草刈正雄さん・堺雅人さんが演じましたね。

 ここ九度山町は、世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道の高野山・本山地区に指定され、

真田庵から1kmほど西の慈尊院の

こちら、重要文化財の弥勒堂と、

その先にある丹生官省符神社の

こちらも重要文化財の本殿3棟が、世界文化遺産の構成資産に指定されています。

 この後、高野山を目指して参道を登っていきますが、紙幅が尽きましたので続きはまた次回で。