立派な仁王門から境内に入ると
左手に多宝塔、正面には本堂が
安楽寺は弘法大師の創建で、この地を訪れた大師が薬師如来の坐像を刻み堂宇を建立したそうです
本堂の右手には大師堂
その右隣には茅葺きの立派な方丈がありました
現在大河ドラマ「豊臣兄弟!」で高橋努さんが蜂須賀正勝を演じていますが、正勝の子の家政が阿波の国主として入国した際、安楽寺を駅路地(官寺)と定め庇護しましたが、この方丈は当時のものだそうです
こちらが安楽寺のお納経とお姿です
次に1km西の第七番札所 十楽寺に向かいました
こちらが十楽寺の鐘楼です
境内に入るとその先に遍照殿
更にその先に本堂がありました
十楽寺はこの地を訪れた弘法大師が阿弥陀如来の本尊を刻み堂宇を建てて開基したそうです
本堂の左手の石段を昇ると
大師堂がありました
こちらが十楽寺のお納経とお姿です
次に4km西の阿波市にある第八番札所 熊谷(くまたに)寺に向かいました

こちらの重厚な山門は江戸時代の建築です
境内を進むと多宝塔が見えてきました
四国地方最古にして最大だそうです
その先には中門が
更にその先の石段の上に
本堂がありました
弘法大師がこの地で修行した際、千手観世音菩薩を刻み本尊として安置したのが熊谷寺の始まりと伝えられています
本堂左の鐘楼との間の石段を昇ると
大師堂がありました
木漏れ日の中の石段をくだり熊谷寺を後にしました
こちらがお納経とお姿です
次に2km南の第九番札所 法輪寺に
向かいました

かつては3km離れた谷間の地に壮大な伽藍がありましたが長宗我部氏の兵火により全て焼失し、江戸時代に田園地帯のこの地に移されたそうです
本堂の右隣には大師堂が
こちらが法輪寺のお納経とお姿です
次に4km西の切幡寺に向かいました
こちらの仁王門から境内に入り
山道を昇って行くと
本堂がありました
切幡寺は弘法大師がこの地に到った際、衣が痛んだので近くの民家に繕いの布を求めると、機を織っていた娘が織かけの布を惜しげもなく切って差し出したのが寺号の由来だそうで、その際に大師が刻んだ千手観世音菩薩がご本尊です
本堂の右隣には大師堂が
本堂左手の石段を昇ると
山上からは吉野川流域の田園地帯が見渡せました
こちらが切幡寺のお納経とお姿です
次に10km南東の吉野川市にある第11番札所の藤井寺に向かいました
途中にある大河 吉野川の中洲に繋がる沈下橋の大野島橋を渡ります
更に中洲の南側の吉野川本流に架かる川島潜水橋を渡ります
渡り終えた南岸の堤防からの沈下橋の眺めです
吉野川は古くから「四国三郎」と呼ばれ、「坂東太郎」の利根川、「筑紫二郎」の筑後川とともに日本三大「暴れ川」に数えられていました
沈下橋は高知県の四万十川流域が有名ですが、欄干が無く氾濫時には水中に沈むことにより橋が流されるのを防いでいます
橋から更に5kmほど進み藤井寺の仁王門に着きました
その先を右に曲がると本堂が見えてきました
藤井寺は弘法大師の創建で大師作といわれる薬師如来がご本尊です
本堂の右側には大師堂が
こちらが藤井寺のお納経とお姿です
境内の奥には次の12番札所 焼山寺につながる遍路道の入り口が
標高930mの中腹にある焼山寺までの約13kmの山道は、その厳しさから「遍路ころがし」と呼ばれる難所です
焼山寺には翌日、この難所を避けてレンタカーで向かうこととして4番飛ばし、次に13km東の徳島市にある第16番札所 観音寺に向かいました
こちらが観音寺の山門です
山門の正面に本堂がありました
観音寺は聖武天皇の勅願道場として創建後、この地を訪れた弘法大師が千手観世音菩薩を刻んでご本尊とされました
本堂の右手には大師堂が
その右隣には夜泣き封じのご利益がある夜泣き地蔵が
こちらが観音寺のお納経とお姿です
次に3km北の第17番札所 井戸寺に向かいました
こちらが井戸寺の仁王門です
徳島藩主蜂須賀公の別邸の門を寄進したものだそうです
井戸寺は天武天皇の勅願寺で七仏薬師如来がご本尊です
弘法大師がこの地を訪れた際、水不足に苦しむ村人のために一夜にして井戸を掘ったとされ、寺号の由来となっています
こちらが井戸寺のお納経とお姿です
この後、8km北の「道の駅いたの」で自転車を返しましたが、この日の走行距離は50kmに及び大変くたびれました
板野駅からJR高徳線でこの日の宿のある徳島に向かいましたが、アンパンマン列車と遭遇しました
徳島市内の橋には阿波踊りの像が
夕食は徳島ラーメンです
生卵が無料のサービスでした
翌日は徳島県内の残りの札所をレンタカーで巡拝しましたが、それはまた次回で























































