「理想的な歯ならびと噛み合わせの安定性の確立のために
が独自にが取り組んでいる方法」
4) @「幼少時のわたし」
物心ついたとき
いた所は
最初の作文で
「さんけん」
・・・って書いて訂正された
三渓園につづく
「桜道」
今でも既にリタイヤした
父が後輩に貸して
「三渓園下村歯科クリニック」がある
その場所
祖父に建ててもらった
日本家屋に
祖父夫妻
父母と5人の生活
三島由紀夫は
産湯の盥の輝きを明瞭におぼえている
と記述していますが
わたしは
はいはいして
長い渡り廊下を祖父母の寝室に向かってゆき
指で障子を破いて中をのぞくと
祖父母は既に起きて
布団の上に座り
祖父が
「かじゅがきた!かじゅがきた!」
・・・と云って好相を崩したヴィジョンを
今でも保有しています
その頃父は
市大病院系の
「友愛病院」の口腔外科に勤務しており
市電のボギー電車に乗って帰宅するのを
母におぶさって毎日電車道まで
迎えにいったことをおぼえています
萩原朔太郎が
「青猫」と表現した
市電のパンタグラフから
滴り落ちる
電気でできた葡萄の房のような
青い火花が仮象の瀧として降り
轟音とともに通り過ぎてゆきます
そういったひと日
真っ青に発光する
飛行物体が中空を
ものすごい速度で
西の宇宙から東に向かって
弧を描きながら
飛び去ったのを
母の背から目撃したことは
はっきり記憶していると同時に
次の日の新聞でも確認しました
わたしの父方の家系はわたくしを含めて
五代にさかのぼって歯科医でした
初代=大次郎は,いまだ日本に
歯科大学が存在しなかった時分から
口中医を営んでおりました
ビールやクリーニングもそうであるように
現代歯科医学の発祥の地も横浜でしたが
当時二軒あった口中医の
片方が山本大次郎であったところから
大戦で焼失する前の開港記念館に
かかっていて
現在でも
歯科医学の歴史に登場する
着物姿の口中医は
未確認ですが
50%の確立で彼であるはずです
東神奈川青木橋近くにある
山本家の菩提寺=宋興寺は
かつてヘボン式ローマ字で知られる
米人宣教師・医師=Dr. Hepburn が居住した場所でありました
幼少の頃のわたしは,
神奈川県歯科医師会長をしていた祖父が
シカイシカイ(歯科医師会)にゆく際に
自分も将来歯医者になることを
表明していたそうです
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