誰だって絶望なんてしたくなんだけど、人生のどこかのタイミングで何かに絶望することは必ず起こる。

 

その時、その絶望を糧に這い上がれる人と、そうじゃない人がいる。

 

 

 

正しく絶望すること。

 

 

 

絶望真っ只中の場合、正しいもくそも考えられないわけだが、これができるかどうかで、その後の人生が大きく左右されるのは間違いない。

 

 

 

正しく絶望せよ

 

 ストナンで味わった絶望

 

ストリートナンパを始めたての頃は、5時間歩いて3人くらいにしか声をかけられず、LINE交換なんて、ましてやデートでお持ち帰りすることなんて夢のまた夢だった。

 

ゴールが遠すぎて、今やっていることの意味が全く見いだせなかった。

 

何のために俺は街に出て、よくわからん声かけをしているのか?

 

全くLINEも聞けず、それどころが声もかけられず街をさまよい、これじゃただの不審者じゃないか、と思いながら歩き続けた。

 

やっとの思いで声をかけることができてもシカトされる。

 

立ち止まって会話ができても「大丈夫です」と冷笑されて立ち去られる。

 

このままだと、一生ゴールにはたどり着かないんじゃないか、もうやめるべきなのでは、と常に思っていた。

 

俺はこのまま、陰キャ非モテで、理想の女とは付き合えない人生を歩むのか。

 

 

まさに絶望だった。

 

 

それでもなんでやめなかったんだろうと、今になって振り返ってみると、もし今ここでやめたら、一生この絶望と付き合って生きていくことになると思ったからだ。

 

近くにいい女がいても、男らしく声をかけられもせず、うじうじして家に帰ってその女の裸を想像してシコる。

 

そうやって、50歳、60歳になる未来が想像できた。

 

 

これはやめられない。

 

今やめたら、一生みじめな思いをかかえて生きていくことになる。

 

 

そう思うと、また何時間も街をさまよって無視されて、「今日もだめだった」「俺って終わってるな」と落胆して帰ることになると予想できても、街に出ずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 絶望のベクトルを自分に向ける

 

ストリートナンパでも、営業の仕事でも、全く結果の出ない現状を誰かのせい、環境のせいにしていたら、きっとやめていた。

 

「俺が営業で結果を出せないのは、いじわるなあいつのせい」

 

「ナンパで結果を出せないのは、性格の悪い女のせい」

 

「もっと高身長に生まれていれば楽だったのに」

 

みたいな。

 

 

環境が変わったり、ちょっとレベルの高い人たちのいるステージに上がった時に、実力不足の自分から目を背けたいがゆえに何かのせいにしてしまいそうになる。

 

でも、もしそこで何かのせいにしてしまったら、一生みじめな思いを背負って生きていくことになる。

 

 

絶望のベクトルを自分に向けろ。

 

ふがいない現状は全部お前のせい、みじめな現実はお前が過去に選択してきた行動の結果なのだ。

 

 

そう認識してしまったら、もう逃げられない。

 

そして取るべき選択肢は2つある。

 

 

①自分に絶望し、自分を卑下して、何もかも無気力であきらめの内に生きるか

 

②自分に絶望し、こんな現実をぶち壊してやる、ともがくか

 

 

そのどちらかしかない。

 

どちらを選ぼうと、選択の責任は全て自分にある。

 

そして自分の人生に責任を追えるのは、自分しかいない。

 

 

 

やるしかない。