McLAREN M8D
1970年 CAN-AM カーである。私の中でマクラーレンと言えばオレンジ色に塗られたマシンの事を差す。中でもこのM8Dは衝撃を受ける程の格好良さを感じた。当時厚さ1cmほどのオートスポーツという雑誌がきっかけだった。当時は本物を見る事はおろか、今みたいに走っている姿を見る事も出来なかった。
それ故、オートスポーツという雑誌が与えてくれた写真のみで夢がドンドン膨らんだ。
このマシンはマクラーレン創立者ブルースマクラーレンの命を奪った車でもある。M8Dは、CAN-AMのレギュレーションが変わりウイングの高さが制限された事によるデザインだ。1970年代にこのようなデザインをしてきた車は1台もなかった。とにかく光っていた。それからというもの、私は古本屋でオートスポーツ誌を手に入る物全て購入しマクラーレンに関する記事を読みあさった。
御陰で、パットマクラーレン(妻)テディメイヤー アラスターカドウェルなどのドライバー以外の人々の存在も知る事が出来た。オートスポーツ誌は本当に素晴らしい雑誌だった。しかしあまりの多さに引っ越しの時に処分してしまったのは今も悔やんでいる。今は、マクラーレンと言えばロンデニスというイメージだが、F2でやっていたロンデニスがなんでマクラーレンに首突っ込むんだと、マルボロスポンサーの力で介入してきたプロジェクト4の存在が大嫌いだった。勿論個人的にである。
しつこいようだが、私にとって本人そして、テディメイヤーが指揮をとっていた時代までがマクラーレンチームという感じである。ドライバーで言えばジェームスハント時代までかな。とどうでもいい話をしてしまった。


1970年 CAN-AM カーである。私の中でマクラーレンと言えばオレンジ色に塗られたマシンの事を差す。中でもこのM8Dは衝撃を受ける程の格好良さを感じた。当時厚さ1cmほどのオートスポーツという雑誌がきっかけだった。当時は本物を見る事はおろか、今みたいに走っている姿を見る事も出来なかった。
それ故、オートスポーツという雑誌が与えてくれた写真のみで夢がドンドン膨らんだ。
このマシンはマクラーレン創立者ブルースマクラーレンの命を奪った車でもある。M8Dは、CAN-AMのレギュレーションが変わりウイングの高さが制限された事によるデザインだ。1970年代にこのようなデザインをしてきた車は1台もなかった。とにかく光っていた。それからというもの、私は古本屋でオートスポーツ誌を手に入る物全て購入しマクラーレンに関する記事を読みあさった。
御陰で、パットマクラーレン(妻)テディメイヤー アラスターカドウェルなどのドライバー以外の人々の存在も知る事が出来た。オートスポーツ誌は本当に素晴らしい雑誌だった。しかしあまりの多さに引っ越しの時に処分してしまったのは今も悔やんでいる。今は、マクラーレンと言えばロンデニスというイメージだが、F2でやっていたロンデニスがなんでマクラーレンに首突っ込むんだと、マルボロスポンサーの力で介入してきたプロジェクト4の存在が大嫌いだった。勿論個人的にである。
しつこいようだが、私にとって本人そして、テディメイヤーが指揮をとっていた時代までがマクラーレンチームという感じである。ドライバーで言えばジェームスハント時代までかな。とどうでもいい話をしてしまった。





