こんばんは、ギフテッドの中学受験その後です。いつもご訪問ありがとうございます。
前回の続きになります。
前回の記事では
①原因論ではなく目的論
②課題の分離
について書きました。
最後は
③共同体感覚
ですが、その前に②課題の分離をもう少し掘り下げたいと思います。
課題の分離は、その課題が自分の事なのか、他人の事なのかを分ける事でした。
そして、自分の課題は自分でコントロールできるものだから、それに集中すれば良いということです。
7つの習慣にもありますが、自分の影響の及ぼせる事に集中するというものと同じですね。
他人の問題に口出ししても効果は薄い。そこに力を注ぐなら、自分が影響を与えられる事に力を使う方が賢いということです。
勉強しない子供に勉強しろと言っても無駄というのはこの事です。
課題の分離をすると、大体のものは自分の課題ではない事が分かる。人が悩むのは、他人の課題に踏み込んでいるからであり、悩みの全ては対人関係に集約されるとアドラーは言っています。
他人の問題に首を突っ込むから、争いが起きてしまうんですね。
勉強しろ → ふんぬ〜! ですね。
また、承認欲求を否定し、他人との関係は上下ではなく、横の関係で考えようと。
承認欲求、人から認められたい、褒められたいと思って行動を選択するのは、自分の為では無く、人のためにやっていること。他人からの評価に依存して、自分の人生を生きていないのです。
逆に相手を褒めるのは、上から下の立場のものにするものであって、相手を下に見ることになり、褒められた方を承認欲求の虜にする。だから褒めなくていいと。
うーん、私の好きな言葉に山本五十六の
「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
がありますが、褒めるのはダメだと?ならどうしろと?
ただ、その後続きの言葉がありまして、
「話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たじ」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず」
となっており、最初は褒める段階ですが、いずれ認めて、感謝すると移行しています。
アドラーは、あんたすげぇ!と上から褒めるのではなく、相手を凄いと思ったら、その人を認め、ありがとうと感謝するようにと言っています。
それは凄いね!だと、相手に対しての評価ですが、ありがとうは、私があなたに感謝するといった一人称です。これが、上下の関係では無い、横の関係のようです。
息子が凄いと言われて、別に、、 と言うのは、上から目線で勝手に評価するなと感じていたからでしょうか?? 親からすると素直に喜べよ!と思っていましたが、アドラーの考えを誰に習わずとも感じていたのかも知れません。
ともかく、私は息子を評価するのではなく、事実の確認に留めるようにしています。
課題を分離し、褒めないで、感謝して認める。そうするだけで良い、と言うものですが、子どもが小さい時はある程度褒めて伸ばすでいいのではと思いますね
子どもからしたら褒められてやる気が出るのも事実ですし、もう少し成長してきたら、認めて感謝するのでいいのかなと思います。
何か、ぐだぐだ書いていたら、長くなってしまった、、
共同体感覚、、また次回書きます。
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