親鸞聖人の観音信仰について書こうと思って、その前提として法然上人について勉強しているのですが、調べたり考えたりしているうちに「ひょっとしてこれはすごく重要なことなのではないか」と疑問というか発見のようなものが生じたため、以下の内容はメモとして残しておきます。

簡単にいうと、法然上人は自力から他力へと回心されたのではなく、お釈迦様の戒律に従うという「他力」から、阿弥陀様に頼るという「他力」へと回心されたのではないのだろうかという発見です。


法然上人という方は、お釈迦様の生まれ変わりといってもいいのではないかというぐらいの、どういう基準で見ても立派なお坊さんであり、このまま行けば天台座主になる方だろうとまわりから思われていたというのもうなずけます。

法然上人は、お釈迦様の教えの本質を、

・戒律を守ること
・心を静寂に保つこと
・智慧を磨くこと

この3つであるといわれているのですが、

法然上人がお釈迦様の教えの本質であるとされ、おそらくそれは正しいだろうと思われるこの3つは、そもそも「自力」で仏陀になるための道ではないと思うのです。

まず戒律ですが、戒律はそもそも仏陀に至るための困難な修行などではなく、それに従うことによって、生活の中で「輪廻の原因となるカルマ」を作らずに暮らすことができるようになる、安全な船のようなものです。

戒律に従うというのは、この「お釈迦様の作られた安全な船に乗る」ことなわけですが、これによりカルマが作られなくなれば、それを原因とする輪廻も生じなくなり、わざわざたいへんな苦労をして仏陀になどならなくとも輪廻から解放されることになります。

そして、少なくともお釈迦様の規定したような出家者であれば、戒律に従うのは特に難しいことではないはずです。つまり、戒律に従うというのは、自力・難行ではなく、他力・易行なのです。

戒律に従うことが本来は易行であるにもかかわらず、破戒がどうとかいうのは、歴史的に見て、その多くが「性欲」がらみですよね。

これは、お釈迦様が定められた本来の出家を認める条件のひとつである「跡継ぎである子供のいる成人男性に限る」という条件に反してまだ幼い時代に出家をさせたりするために起こることです。

戒律の規制によりあふれる性欲に苦しめられる青年などというものは、もともと「出家してはいけない」人なのであって、この苦痛は修行ではなく単なる倒錯です。


戒律に従うことだけで心が静まり、新たなカルマを作らないようになることができれば最善ですが、それだけでは迷いが生じる人はあえて心を鎮めるために座禅に励む必要があるかもしれませんし、

すでに作ってしまったカルマをなんとかしたいという場合にはお釈迦様の言葉を学んでカルマを消していくというのも大事なことでしょう。

しかし、戒律という安全な船に乗ってしまえばそれだけで原則として新規のカルマは生じなくなりますし、過去に作ったカルマも消えていきます。

従うだけで輪廻から解放される、だから戒律に従う、これはやはり易行であり他力と考えるべきだろうと思うのです。

この点、お釈迦様の教えは、イスラム教と似たところがあるように思います。イスラム教徒は、別に聖職者でなくとも、断食や豚肉食の禁止など多くの戒律に従っていますが、彼ら普通のイスラム教徒を「自力」型の修行者と見る人はあまりいないですよね。

戒律に従いさえすればそれだけで救済される、我々凡愚の者たちでも容易にできるような、そんな「楽な道」をわざわざ作ってくださった、

救済の方向は違いますが、この点について、イスラム教も本来のお釈迦様の教えも共通しており、どちらもその本質は「他力」なのだと考えてよいと思うのです。


法然上人はこの「戒律=他力」のお釈迦様の教えを離れて、阿弥陀様の本願をたのむ方向に回心されました。もっとも法然上人ご自身は、回心前後を問わず、前述した、

・戒律を守ること
・心を静寂に保つこと
・智慧を磨くこと

という3つのお釈迦様の教えにしたがい続ける形で生涯を全うされており、この事実は、法然上人の回心の性質が親鸞聖人のそれとは「違う」らしいということを示唆していますが、この点はもう少し後で考えてみます。

ではなぜ法然上人が、行状を見るかぎり、みずから実はお釈迦様の教えに従い続けているのに、阿弥陀様へと回心されたのかですが、

おそらくそれは法然上人ご自身にとってではなく、「衆生救済」という観点から見た場合、お釈迦様の教えより阿弥陀様の本願のほうが「優れている」という判断からなのだろうと思います。

性欲にもんもんとしている青年となると違うかもしれませんが、十分に成熟し、人生経験を積み、子供までいる成人が、みずからの意思と判断により出家したという場合に、お釈迦様の作られた戒律に従うことは「当然のこと」であり、そんなにむずかしいことでもありません。

しかし、出家しない在家のままで厳格に戒律を守った生活を送るのは非常にむずかしいことであり、猟師や遊女といった人にとっては、守ろうとすれば生活ができなくなってしまうような戒律も多くあります。

もちろんお釈迦様はその手当もされていますが、それは「供養」つまり「教団への寄付」による救済です。法然上人はおそらくこれが気に入らなかったのだろうと思うのです。

出家者以外には守りたくとも守れない戒律と、お金持ちほど優遇される(少なくともそう見える)「供養」による救済、法然上人がこれらを心底嫌っておられたらしいことは、後の比叡山などとの衝突、さらには法然教団の弾圧といった法難へとつながる最大の理由になっているといっていいと思います。


一方で同じく「他力」とはいえ、阿弥陀様をたよるというだけで十分だとするほうが、「衆生救済」という見地からはお釈迦様の「戒律による救済」という方法よりも優れているというのは、あらためて考えてもなるほどと感じます。なにしろ、さらに簡単な上に、守るのも容易で、「供養」すらいりませんから。

 


もっとも、同じく浄土信仰といっても、法然上人の教えには先行する恵心僧都のころのものとは重要な違いが存在しているように思います。

極楽浄土は、阿弥陀様が作られた異空間ですが、これはもともとは、

・凡愚な人間は自らの知能や努力では到底お釈迦様のような深い認識へとたどりつくことはできない
・それに加えて、このロクでもない世の中で生きているかぎり、生活や苦痛・欲望・怒り・老い・死などに追われ、ただですら愚かな人間が認識への道を歩むための条件自体が欠けている

こうした状態を気の毒に思われた阿弥陀様が、

・そこに行けば何倍にも賢くなる上、如来・菩薩などの知恵者から好きなだけ教えをうけることができる
・そこには苦痛も生活も欲望も病気もなく、年もとらないため、安心して勉強に没頭できる
・しかもそこに行くためには特別の資格や能力などは不要で、阿弥陀様を信じ、頼るだけでよい

そんな「解脱のための勉強専用異空間」を作ってくださったというものと理解されていたと思います。この段階では、極楽浄土はまだ大衆というより貴族と僧侶などのためのものという性質を抜けきっていないのです。

ただ、よく考えてみれば、現世であれ極楽浄土であれ、そこでの学習や修行の目的は、あくまで「六道輪廻からの解脱」ですよね。

しかし、極楽浄土はそれ自体がすでに「六道輪廻の外」にある異空間ですから、そこに迎え入れていただくことだけですでに「輪廻からの解脱」は出来てしまっています。

恵心僧都までの段階では、極楽往生は「それ自体が目的なのではなく、学習場所確保のための手段」であると理解されていたとしても、実際には極楽往生自体によって解脱という目的は達成されてしまっていたというわけです。

法然上人以後の浄土教では、この「理想的な形で確保された学習場所としての極楽浄土」というヴィジョンは後退していきますが、これは元々の目的が「六道輪廻からの解脱」であることを考えれば、むしろ当然の帰結ということになりそうです。法然上人によってようやく、極楽浄土の救済としての性格は完全な形で理解されたといってもいいかもしれません。


もうひとつ、法然上人については他宗の行を劣ったものとされながら、なぜみずからはどんな宗派から見ても非の打ち所のない清らかな生涯を送られたのだろうという疑問が残ります。

法然上人の教えとの整合性から見れば、むしろ親鸞聖人のような生き方をされるのが本来ではないかという気がする方も多いのではないでしょうか。

この点については、おそらく法然上人がみずからを勢至菩薩の化生であると考えておられていたからというのが答えになるのでしょう。

勢至菩薩は観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍として、我々凡愚の者たちを阿弥陀如来のところに導く役割を担っておられ、勢至菩薩はそれを主に智慧の側面で行うとされる方ですからね。もちろん、法然上人の幼名が勢至丸であったことや、勢至菩薩も法然上人もともにたいへんな知恵者であるというのもありますが、法然上人の回心の本質は、自力をあきらめて他力に移ったということではなく、自分が勢至菩薩の化生であるという認識をもったことなのだろうと思います。

 

法然上人=勢至菩薩という認識をご自分でお持ちだっただろう点については、亡くなる直前の法然上人が、自分はもともと極楽浄土に住んでいたので、そこに帰るだけだといわれていたことなどからもうかがえますし、知恩院の勢至堂など、周りの方々も(おそらく法然上人が生きておられたころから)法然上人を勢至菩薩の化生であると考えていたでしょうから、特に変わった指摘でもありませんが。

 


さて、これでようやく親鸞聖人と観音菩薩との関係を考える準備が出来た感じですが。。