著名な宗教指導者の方には、大衆向けの教説とは異なる個人的な信仰や確信をお持ちということが往々にしてあるようです。

有名なところでは宗教改革の旗頭であるジャン・カルヴァン。この方の予定説では、誰が救済されるかは最初から決まっていて、かつ絶対的に不可知であるとされていますが、カルヴァンご自身は自分の名前が神の救済予定名簿にあることを確信されていたといいます。

前回の法然上人にしても、大衆向けの教説では専修念仏や悪人正機を唱えられていますが、ご自身については、勢至菩薩の化生であること、極楽に往生するというより、極楽還相とでもいえばいいのでしょうか、極楽に「本籍」があり、極楽には行くのではなく帰るのだということを確信しておられたようです。

まあこのお二人については、教説と確信に矛盾はないのでかまわないといえばかまわないのですが、今回のテーマは親鸞聖人です。

親鸞聖人の個人的信仰というか神秘体験といえば、なんといっても六角堂での夢のお告げでしょう。

この六角堂での夢告についてはWEB上にも書籍・論文などにもいくらでも情報がありますので詳細は省きます。


ざっくりいえば、六角堂にこもっていた若き日の親鸞聖人のもとに、救世観音があらわれ、

行者、宿報にて設い女犯すとも
我、玉女の身となりて犯せられん
一生の間、能く荘厳して
臨終に引導して極楽に生ぜしめん

と言われたところで、親鸞聖人は目を覚ましたというものです。


この体験がなぜ、親鸞聖人が法然上人のもとに行き、また生涯あつく聖徳太子を信仰することにつながるのかは、浄土真宗の皆さまにおまかせするとして、文字通りにこの内容を読むと、

1.性欲を抑えられない行者が、観音さまの化生である玉女=玉のように美しい人間の女性と交合すること

2.観音様が生涯、みずからと交合する行者を庇護してくれること

3.観音様は、その行者の臨終に際しては極楽に引導してくれること

この3つの組み合わせということになります。

このヴィジョンは、少なくとも法然上人以降の浄土教の教えとは異なるものだと思います。

むしろ「維摩経」や「理趣経」のほうに親和性があり、さらには「秘密集会タントラ」や真言立川流とも共通する密教的なイメージの強いものであるとみるほうが素直でしょう。


浄土教というと、法然上人や親鸞聖人によって私など反射的に確立された専修念仏を思い出してしまうため、密教的浄土教というとへんな感じがしますが、

日本浄土教の開祖的な立場に立つ恵心僧都源信の教えは(交合云々はともかく)相当に密教的なものですし、そもそも専修念仏という大胆な着想は、マントラ=真言的要素を無視しては成立しえなかったと思います。

一方、夢告の性的な要素ですが、法然上人や親鸞聖人が配流されることになった建永の法難について、法然上人その人はともかく、その弟子たちの一部が積極的に悪業を行っていたという告発は、法難に至る状況と、祟りの観点からも朝廷としては絶対に避けたかったであろう4百年ぶりの死罪が伴っていたことを考えれば、単なる天台宗などの宗派防衛を目的とした讒言などではなく、

当時の法然上人のもとにいた行者たちの一部は、女犯を含めた積極的な破戒行為を宗教活動の一部として主張・実践していたらしいと見るほうが自然でしょう。

親鸞聖人ご自身にしても、後に公然と妻帯を宣言するまでは戒律をしっかり守っていたというわけではなさそうで、女犯については六角堂の夢告後の早い段階から実践されていただろうと思います。

以上から私は、この六角堂での神秘体験をきっかけとして、「愚禿釈の鸞」と名乗られるころまでの親鸞聖人は、個人的な信仰として上述のような性的要素を濃密に含む密教的な観音信仰をお持ちであり、かつそれを実践されていたと見てよいと考えます。


ただ、親鸞聖人の観音信仰については、典型的な密教のそれとは明らかに異なるところがあります。

第一に、親鸞聖人の女犯は途中から秘密ではなくなった点です。秘密に行うからこそ密儀であり密教なわけで、おおっぴらに妻帯を宣言した時点でそれは密儀でも密教でもなくなります。

第二に、親鸞聖人は玉女を密儀のための一時的な道具として用いたわけではないという点です。

たとえば「秘密集会タントラ」を実践する場合、密儀の相手となる処女については、専門の業者というか家に頼んで購入するという形を取るそうです。また密儀の結果として子供が生まれた場合、その業者というか家が引取り、女の子であれば次の密儀に使うために教え育てるのだとのこと。

一方、親鸞聖人はといえば、ご自分の玉女と生涯に渡り添い遂げたられたわけで、これはまったくのところ密教的ではありません。そしてこの「親鸞聖人ご自身が玉女と添い遂げた」ことにより、浄土真宗が偉大な宗派として成立するためのとても大きな飛躍が生じたと思うのです。


法然上人の場合、

・(お釈迦様の教えに従い)出家して戒律を守ることより阿弥陀様をたより念仏を唱えることが優れていることを、教説や議論の中で見事に立証された
・悪人正機の考えを説かれていた

にもかかわらず、ご自身は生涯、出家としての戒律を守られていました。

これは、法然上人が自他ともにに認める「勢至菩薩の化生」であり、自身については極楽往生の必要はない(そもそも極楽が本来の住所で、現世には教えたのためにやってきているだけで、臨終後は極楽に「戻る」だけのこと)ためですので、教えの上では矛盾は生じません。

しかし、信者にとっては、法然上人の厳格な「ライフスタイル」は、自分の生活の理念としては使えないという大きな問題があります。誰でも実践できる簡単なことを教えておられたのに、その生活が厳格で清らかすぎるため、普通の信者には模倣可能な具体的な生活のモデルが与えられなかったのです。

一方、親鸞聖人については、当初はおそらく密儀としての女犯だったのが、密儀としてではなくおおっぴらに玉女と妻帯することを宣言され、しかも生涯添い遂げることにより、信者に対してどういう風に生きたらいいのかについて明確な具体像を提供できたことになります。


ただ、「浄土真宗の信者にとって、奥さんは観音菩薩の化生になるのか」という微妙な問題はやはり残ります。

若い頃の親鸞聖人のように、信者さんたちが念仏ではなく観音様の密儀のほうを実践してしまうと、専修念仏ではなく、密教的観音信仰になってしまいます。広い意味での浄土教の枠内であり、かつ親鸞聖人ご自身にならう信仰実践とはいえ、これでは阿弥陀信仰ではなく観音信仰であり、真言宗などの密教や、観音信仰を中心に置く天台宗、あるいは日蓮宗との違いがわかりにくくなってしまいます。専修念仏を旨とする浄土真宗にとっては具合が悪いですよね。

そこで、六角堂の夢告に関しては、観音さまを、やはり観音さまの化生とされる聖徳太子に変身させてしまい、聖徳太子信仰と法然上人のもとに至る契機という形に解釈することにして、観音さまの件はうやむやにして通り過ぎることにする。

 

のちに蓮如さんによって破却された本尊にも、たぶん観音さまが多かったのだろうなと想像します。観音さまをおまつりするのはダメで聖徳太子ならいいのはなぜか、そんなことを疑問に思う人は世代を超えて生じ続けるでしょうが、それをうやむやにするという方針は変えるわけにはいきません。観音さまは危険ですから。

 

蓮如さんもたいへんだったんだろうな、現在、西本願寺前の龍谷ミュージアムで開催中の「真宗と聖徳太子」展をみながら、そんなことを考えていました。

 

もっとも、「日出処の天子」などが出てしまいますと、聖徳太子でも安全ではなくなってしまいますが、相手が聖徳太子となると、お坊さんの暗黙の理解としては観音さまではなく文殊さんの領域になるかもしれませんね。

 

観音菩薩の化生である聖徳太子と若き日の親鸞聖人の組み合わせとなると、とんでもなく不敬な感じで、あまり想像するとものすごいバチがあたりそうです。