最近のアニメにおける騎士道についてまとめる前に、準備として、騎士道についてざっくりと考えておこうと思います。

「アニメのために騎士道をまとめるとか、話が逆だろ?」という気もしないでもなく、自分もまだまだだなと痛感します。自分自身がいまだに教養>>>アニメという発想から抜けられていないということですからね。


さて騎士道というと、特に我々日本人は「武士道」という儒教由来の道徳観念との表面的な類似性から、精神的なものを思い浮かべてしまいがちですが、主君と騎士との関係はあくまでも「契約」です。

しかも、騎士というのは基本的には「甲冑や戦車、装甲馬、槍などの武器を自弁して武装できる、本来は自主独立の小領主」です。領主との契約関係にしても、どちらかが債務不履行すれば契約を解除できますし、誰に仕えるかも本来自由なはずです。

もちろん、武器や土地を与えられて騎士に取り立てられるという場合や、大領主の近くに領地があるためその領主の騎士になるしかないという場合も多かったでしょうが、大河ドラマに出てくるような「家の子郎党」的な強い服従関係ではなく、もっとドライでシビアなものだったと考えたほうがよさそうです。

西洋における騎士道の観念化は、日本のように主君とのあいだの関係を抽象化・道徳化するのではなく、「神の騎士」という方向か、その(おそらく遊戯的な)変種としての「女性への奉仕」という方向で行われたと見ておいたほうがよいだろうと考えます。
 

 

次に物語としての騎士道ですが、次の3つの源流が騎士というモチーフのもとに融合したものと考えていいのではないかと思っています。それは、

・ヘラクレスの試練
・宮廷風恋愛
・トーナメントの本来の意味でもある馬上槍試合

この3つですが、これらについては調べればたくさん出てきますので、ここでは話を進める必要上、宮廷風恋愛についてだけちょっと書きます。


宮廷風恋愛の基本形は、

・自分より高位の貴族の奥方が対象
・両者とも厳格に秘密を守ること

・女性の側からの無理難題を騎士側が達成することで、褒美として密かな肉体関係が得られる

という、気の毒な西行を思い起こさせるというか、平安朝でも末期ごろの退廃していた時期を思わせないではない感じのものです。まあ日本だと、馬上槍試合とかではなく、思わせぶりな和歌が主戦場だったわけですが。

 


ともかく、これらが組み合わさってできたのが、騎士道物語の最初の完成形ともいうべきアーサー王物語といっていいと思います。

もっとも、アーサー王物語を経て、ヘラクレス風の試練は聖杯探しの旅へと騎士道のトレンドが大きく変化します。ヘラクレスの試練は「神になるため」のもので、キリスト教的感覚から見ると不敬な異教的感じが強すぎますから、当然かもしれませんね。


騎士道物語が、誰もがイメージするような形で最終的に完成するのはウォルター・スコットの「アイヴァンホー」ですが、

ロマン主義の代表作ともいえそうなこの物語が成立する時点では道徳観に大きな変化があることを感じます。アーサー王物語、特に湖の騎士ランスロット(ランスロ)と王妃グィネヴィアの物語を貫く貴族趣味的な恋愛=不倫関係の当然視は、フランス革命後のブルジョア・民衆の清潔な道徳観とは相容れなかったのでしょう、

「アイヴァンホー」以後の騎士道の恋愛観は「気高く汚れのない若い女性」に捧げられる「少なくとも試練の達成により彼女を妻とするまではプラトニックな関係」という風に変容することになります。

つまり、

・生まれや地位によって高貴なという身分社会的な属性が、精神的・外見的な美しさに、

・不倫関係が、(少なくとも結婚までは)プラトニックな関係に、

・貴族女性から与えられる無理難題から、彼女を守るないしは人々を救うための試練に、

・高貴の女性との退廃的な関係と聖杯を求める宗教的性格を強くもった旅から、孤立無援の立場にある無力な女性を保護しながら一人前の男性へと成長していく青年の世俗的な物語に、

 

・不倫ではなく結婚がゴールであるため、厳格な秘密という要請は無くなる


という具合に変容したわけです。


ウォルター・スコットが完成したこの「騎士道風恋愛」には、近代的な恋愛モデルそのものといっていいようなところがあります。が、見方を変えるとこれは一種の「トロフィーワイフ」の物語であり、女性は清らかなだけの無力な人形同然の存在、その女性と成長した青年の結婚が絶対かつ最終の到達点で、その先については描かれません。

また、このモデルから、

・エリート男性が自分より身分的に劣る女性を愛した後捨てる話(明治以降の日本文学では、作家が帝大や旧制高校出であるのが普通だったこともあり、むしろこちらのほうが一般的だったような気がします)

・ブルジョアの娘を手に入れることで庶民から成り上がろうとする物語(スタンダールなんかがそうですよね。ただし、日本ではあまり思いつきませんが)

・女性側すなわちトロフィーワイフにされる側の視点を反映した結果まったく違って見える物語

などが派生してくるわけですが、これらを考え出すとたいへんなことになるので、この点についてはこの程度で。


なお、明治以前の日本における恋愛ものでは、女性はどんな風に描かれていたのだろうというところにもひっかかったのですが、これまたざっくりまとめると、

・女性=男性に助けられる「か弱きもの」というモデルは、江戸期までの物語ではちょっと思いつかず、物語や神話にはむしろ「強い女性」が出てくることが多い

 

(「竹取物語」には騎士道物語に出てくる「か弱き女性」のようなところがありますが、かぐや姫は不可能な難題を出して求婚する男を追い払っているわけで、そもそも恋愛ものですらありません。我が国の「物語の祖」がアンチ騎士道のような作品なのは面白いなと思います)

・神話の時代以来、男を追う女というモチーフのほうが多いような気がする

 

・結婚=ゴールという発想はない

 

今回はこの3点だけ指摘しておこうと思います。

どれも、じっくり腰を据えて考えてみるだけの価値がありそうなのですが、アニメにおける騎士道を扱うための準備的考察として扱うにはテーマが大きすぎますので、機会があれば。