前回の続きです。

「マウンティングもの」のもうひとつの系統は、「主人公が最初から圧倒的な力=チートをもっている」タイプの話です。

「異世界もの」には広く見てこのタイプの話が多いのですが、「圧倒的な力をもった主人公がマウンティングに勝利しながら、至高の地位を得る」という「原型」的な話は多くありません。ライトノベルないしは漫画として描かれているものはたぶん非常に多いのだろうと思うのですが、アニメ化するだけの価値があると評価されるものが少ないのではないかと思います。

一方、原型からの変異の方向にはなかなか興味深いものがあり、今シーズンには特徴的な方向性が際立っている作品が多いです。今回、異世界アニメを取り扱うことにした大きな理由がこれです。


まず分類ですが、前回「成長型」をM1タイプとしましたので、「最初からチート型」をM2タイプとします。

M2-1:最初から圧倒的な力をもった主人公が、マウンティングの果てに至高の地位まで上り詰める

M2-1に分類されそうなのは「転生したらスライムだった件」と、女神の圧倒的な加護があること自体を「圧倒的な力」と見た場合の「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているのだろうか」の2作品です。

ただ、これらはタイトルから見ても、設定から見ても、本来はそんな話にするつもりはなかったのではないかと思われます。

両作品とも、話が進むに従い、だんだんと残酷な展開になってきています。のんびりはじまった話に、あそこまで凄惨な展開を視聴者や読者が求めているとはとても思えず、正直「誰かこの展開を止めてくれよ」と思うほどですが、

このまま行くと、マウンティングものの論理に無防備なままでハマってしまうとどんなことになるかという実例になってしまいそうな感じです。


これらの、今後の展開が心配な作品に対し、特に今シーズンの異世界ものの目立つ特徴は、上記のようなマウンティングものの典型的な展開を避けようとする明確な方向性と仕掛けを持った作品が非常に多い点をあげることができると思います。

「マウンティング回避型」をM2-2タイプとすると、この系統には、

M2-2-1:主人公が、自己の圧倒的な能力のゆえに、マウンティングに興味をうしなってしまう場合作品。今シーズンの作品でも標準異世界ものでもありませんが「ワンパンマン」とかなり風変わりな異世界ものの「異世界おじさん」がこれに当たると思います。微妙ですが「冰剣の魔術師が世界を統べる」もここに分類してもよいかもしれません。

このタイプでは、主人公自身が戦いに気乗りがしないため、話が進むに連れて、周囲の人たちの成長のサポート役になっていく傾向があります。

M2-2-2:転生前にすでに圧倒的な力をもっていたがゆえに前世で苦難の日々を送っていた主人公が、転生後には「手柄」を他の誰かにまかせることで、自分自身は裏方に回ろうとする話。このタイプの話では、主人公は実は「戦うこと自体は好き」なため、本人の意図に反し、悪目立ちしてしまい、避けようとした「主役としての地位」に引き込まれそうになることになります。

「英雄王 武を極めるため転生す」「最強陰陽師の異世界転生記」、また「転生」などはしていないものの「解雇された暗黒兵士(30代)のスローなセカンドライフ 」などがこのタイプですが、どの作品も現在進行中の話で、彼らがどうやって「目立たないこと」と「才能のままに戦うこと」という矛盾する欲を満足できるか、展開が楽しみです。

M2-2-3:転生前の人生経験等により、権力やマウンティングからは離れてのんきなスローライフを送ろうとする話。M2-2-2とちがい、このタイプの話の主人公は戦いそのものを回避する傾向が強い一方、主人公自身の特異な能力だけでなく、主人公に圧倒的な力の加護が加わっていることを周囲も熟知しているため、おいそれと主人公には手を出してきません。そのおかげで、主人公は風変わりな仲間たちと不思議なスローライフを送ることができるということになります。

「とんでもスキルで異世界放浪メシ」「異世界のんびり農家」がこのタイプですが、現在進行中の「異世界もの」の中でこの二作が人気1、2位のようだというのは興味深いなと思います。


こうした「前世で苦労した主人公が、転生したあとにはのんびりと地味で起伏のない生活を選ぶ」という話は、あらゆる転生ものの中でも、もっとも古い話のひとつである、プラトンが紹介しているオデュッセウスの転生譚を思わせるところがあります。

オデュッセウスといえば「イリアス」「オデュッセイア」で有名なギリシャの神話的な英雄ですが、プラトンに出てくる転生譚では、オデュッセウスは死後、くじ引きで自分の来世を選ぶ機会に、地味で起伏のない目立たない生活を慎重に選びます。

イデア論から考えても、プラトンの転生譚では、転生の際にいったんすべてがリセットされる(と思われます)ので、オデュッセウスは転生後には過去の記憶も能力も持っていないのだろうと思いますが、最近の異世界転生ものがプラトンのそれと酷似した発想を持っているのは面白いなと思います。

一方で、チート主人公がマウンティングの果てに至高の地位を占めるという話については、

・その後、より強い人間が来たらどうなるのか(白雪姫パターン)

・チートという暴力のみによって既存秩序を破壊してしまった、中身は普通の(切れやすく自分に酔っている)中高生にすぎない主人公が今後「支配する」世界は、異世界とはいえ相当暗鬱なものにならないか

・ドラマとしては、頂点に上り詰めたあとに「義経記」のような展開があるのがむしろ自然ではないか

といった、いろいろな疑問が生じます。さて、どうなるんでしょうね。

次回は(マウンティングとかなり重なるのですが)少し切り口を変えて、異世界もの主人公と権力の関係性についてちょっと考えてみるつもりでいます。