異世界ファンタジーを見ていると、これは思っていた以上に面倒で面白い分野だなと感じます。

ただ、本格的に考えようとすると結構なボリュームになりそうですし、まとめて発表しようという動機もまとまった時間もありませんので、この考察などはAI経由とかで知らない誰かの養分としてお使いいただければ十分です。


前回の「その1」の趣旨とはかなりズレますが、異世界ものをいろいろと拝見しているうちに、「異世界」における人間の扱いに興味を覚えました。今回はそれについて書きます。

異世界ファンタジーにおける人間以外の主な住人は「魔物(モンスター)」です。彼らは基本的に好戦的ではなく、長命で、大きな力や知性がある場合であっても必要以上に森などから何かを得ようとは考えていないなど、動物や植物を理想化したような存在として描かれることが普通のようです。

人間はいわばこの正反対で、基本的には弱いくせに、好戦的、短命、自己中心的で強欲かつ差別的な種族で、戦争と権力と陰謀の好きな存在として描かれている感じです。

ドラマツルギーの要請もあるのでしょうが、異世界ものの多くは、話が進むに連れて戦いのインフレーションになっていくのですが、途中からその相手はほぼ人間(魔王というのもいますが)になっていきます。

魔物は好戦的ではない上に、権力や陰謀、財産などにも興味がないため、大抵は「いい人物」である主人公の戦士とは、戦いのあとに仲良くなるのはむしろ普通であり、主人公が魔物慣れしていくにつれ、戦うよりむしろ友達になっていくことが多いです。

一方の人間は、まず同業者である冒険者などが、物欲、嫉妬から新参者である主人公に嫌がらせをすることからはじまります。主人公が圧倒的な力をつけて魔物たちとの共同体を作り始めるようになると、今度は国王や魔王、宗教貴族などの既存の権力が力と陰謀などによって、主人公とその共同体を潰そうとしてきます。

その結果、初期の戦いこそ魔物が相手でも、中盤以降は、まずは仲間のはずの冒険者たち、ついで王侯貴族や異世界からやってきた主人公の同類たちとのうんざりする戦いという感じに話が進んでいくのが普通で、こうなってくると、またかと、ため息をつきながら視聴継続を放棄することになるのですが、そういう方も多いのではないかと思います。


ゲームであれば、モンスターは「ポイントを稼ぐための存在」として深く考える必要もないのでしょうが、ドラマにしようとするとモンスターの内面に入らないわけにはいかず、しかもそのモンスターが基本的に擬人化されている状況では、書いている作家の方にも当然の疑問が生じると思います。

異世界ものでは、人間がモンスターを殺すのは「ポイントを稼ぐ」ため、つまり、自己の生活ないし物欲のためといっていいです。一方、平和なモンスターたちは基本的に森に住み、人間がそのテリトリーを侵さないかぎり攻撃的ではないことが普通で、異常な攻撃性を見せる場合には、大抵、裏に人間、とりわけ主人公と同様の異世界=現世からやってきた異世界人のくだらない働きかけがあります。

ひたすらエスカレートする戦いや、魔物たちに対する支配に酔いはじめ、いつの間にか「正義」や「平和」の側だったはずの主人公がかなり傲慢な存在になり、、「悪」や「戦争」など災厄そのものになってしまっているような作品も多いですが、

まともな作者であれば、魔物と人間と、邪悪なのはどっちで、守るべきなのはどっちなんだろうと、その点にひっかかることがむしろ普通なようです。さらに進むと、せっかくの平和な均衡をむちゃくちゃに壊すしかできないなら、主人公そのものが、彼の意図に反して「邪悪」なんじゃないのかなと。

まあ、ヘーゲルなら、精神とはそもそもそういうものだと「ドヤ顔」でいうところですね。