ChatGPTをはじめとする対話型文章生成AIが話題になっています。

Googleは焦っていきなりつまずいた感じですが、BingにつづきOperaもこれらのAIを検索システムにデフォルトで導入する(Operaはまだ予定ですが)といった具合で、アプリとブラウザの両方でAIを使うのが普通になる時代が、ごく目の前に来ているのだなと実感します。

今後は検索や文書作成、文書読解の領域ともに、急速かつ全般的にAIにとってかわらられることになるんでしょうね。

そんな時代にブログを書くということになにか意味があるんだろうか、このところそんなことを考えていました。


今後、ブログだけでなく、標準的な記事や論文の制作・受容形態は次のように変化することになるのだろうと思います。

受容形態の変容:

A.特定の事項についての知識を得たい場合には、AI検索を使えば、手頃な三行ぐらいの文章にまとめてくれる→ブログの内容は、その参照資料のひとつとしてAIだけが読み、シチューの中の玉ねぎのような形で消費される

B.それで物足りない人が元のテキストにあたる場合でも、AIによって内容を三行ぐらいにまとめてもらったものをざっと読む程度で終わらせるのが普通になる

制作形態の変容:

一から自分で文章を書くことは少なくなり、キーワードを元にAIにかなりちゃんとした草稿を作文してもらい、それの添削程度で済ます

論文などのために元資料の参照までつけてくれるAIも出てきていますので、AI禁止のペナルティでもないかぎり(大学の課題などがそうなっているようですが)、わざわざ自分で書く機会は今後激減するでしょう。

読む側はAIに作ってもらった摘要を読むだけで済まし、書く側もキーワードを入れるだけで大半の作業をAIにやってもらう。既存のテキストを実際に読むのはAIぐらいで、新しく書かれる文章の多くがAIが書いたものになる。

そんな状況でブログを書くって何なんだろうなと。