フェンネルは、wikiを見ても他のサイトさんや書籍を見ても、決まったように「遅くとも9世紀までには中国から日本に入ってきた」とされています。
ただ、資料を調べてみた感触としては、平安時代初期ではなく、せいぜい10世紀後半か11世紀初頭、つまり道長の時代ぐらいにならないと入ってきていないのではないかという感触をもちました。
すでに書きましたが、鑑真(687年―763年) が、失敗に終わった二回目の日本渡航の際に用意した献上品用と思われるスパイスのリストには、胡椒やヒハツ(ロングペッパー)、阿魏(アサフェティダ)、蔗糖などが含まれているものの茴香はありません。
延喜末年頃(920年-923年)に成立した『本草和名』の第九巻にある「【艸かんむりに懷】香子」というのがフェンネルのことで、これに「久礼乃於毛(くれのおも)」という和名があると記されていること、永観2年(984年)に朝廷に献上された『医心方』薬名考にも同様の記載があることが、その時点で日本に伝来していたことの根拠とされているようです。
しかし、この記載を根拠に当時日本にフェンネルが入ってきていたといっていいのかどうかはかなり疑問です。
ナデシコやクララ、ユリ、カキツバタのように、和名は一般に当時の日本に在来の植物に付けられていたもののはずです。一方、フェンネルは地中海原産で、唐代になってようやく中国に伝わっているぐらいで、本来「和名」があるのはおかしい植物です。
また、フェンネルの「和名」とされる「クレノオモ」は他で使われることのない名前ですし、『本草和名』でフェンネルの別名とされている「時羅」(蒔羅)はフェンネルではなくディルのことで、執筆者はフェンネルとディルの違いがわかっていなかったのだろうと思われます。
逆に、意味のよくわからない和名があり、フェンネルとディルが混同されていたというだけでは、入っていなかった証拠にもならないのですが、比定の誤りが多いことで知られる『本草和名』の記述を根拠に、9世紀までに日本にフェンネルが入っていたとの断定はしないほうがよいのではないでしょうか。
では、いつフェンネルが日本に入ってきたのか、ですが、
宋代にはフェンネルが薬・香辛料として盛んに用いられていたわけですが、平安時代の公卿藤原実資の日記である『小右記』には、宋から届いた薬や可梨勒、檳榔子などの話がたびたび現れること、
茶を日本に伝えた日本における臨済宗の開祖である栄西禅師が、二度に渡る宋の滞在中に、茶以外の生薬や香辛料に関心を持っていなかったとは思えないこと、
時代は下がりますが、吉田兼好が『徒然草』の中で「唐の物は、薬の外に、みななくとも事欠くまじ」と述べているぐらいで、遣唐使が途絶えたあとも、薬の輸入はそれなりに盛んだったと考えられることなどを合わせ考えると、直接的な証拠はないものの、フェンネルもまた、平安時代後期には、太宰府や若狭経由で少なくとも散発的には日本に入ってはいただろうと思われます。
江戸時代以降にもなると、安中散が広く用いられるようになるとともに、フェンネルの栽培も広がったようです。これはフェンネルが(ディルとともに)有名な小石川御薬園で栽培されていたことに加え、『猿蓑』の去来の句に
茴香の實を吹落す夕嵐
と詠まれていることなどからもわかります。『本草図譜』(文政11年1828年)には、豆州白濱村(現在の下田)に野生があるとも記されていますが、フェンネルは温暖な海沿いの土地では簡単に野生化しますので、当時の下田で野生化していたというのはうなずける話です。
江戸時代には漢方薬材料としてて結構栽培されていたような感じのフェンネルですが、日本国内で食材としての商業的栽培がはじまったのは、
『フェンネル 小さい農業で稼ぐシリーズ』 川合貴雄・藤原稔司著 農文協
によれば昭和48年頃とのこと。明治維新から100年以上経ってからということになります。
同書によれば、昭和41年に、岡山県立農業試験場の小林博士が、イタリアからフローレンスフェンネルの種子を持ち帰り、バブル期にはホテル・レストラン向け高級食材として一時的にもてはやされたとのことですが、現在は手に入れることもむずかしい珍しい食材になってしまいました。
その理由ですが、「バブル崩壊」だけでなく、日本には鎌倉時代以来のフェンネル=安中散という強い結合が存在していることにもあると思います。
安中散は「安中散」として処方されるだけでなく、太田胃散、大正漢方胃腸薬、第一三共胃腸薬など、身近な胃腸薬の中核的な成分として現在も広く用いられます。またウイキョウ末は安中散ベースの漢方薬以外にも、「万能薬」として作られた仁丹にも含まれています。
推測ですが、日本ではこれら非常に著名な薬の主成分に用いられているということが、フェンネルが食材として広まることの最大の妨げになっているのではないでしょうか。
医食同源、薬食同源を当たり前としている中国のような国とはちがい、胃薬の味がする料理は、日本人の味覚にはあまり合わないんだろうと思います。他の国では野菜やハーブとして食べられているフェンネルですが、日本ではまだまだ「胃の薬」なのかもしれません。
もっとも、フェンネルは沖縄では「いーちょばー」と呼ばれていて、魚汁に使います。この「いーちょばー」という名は「胃腸葉」だともいいますが、「ういきょう葉」のような気もします。いずれにしても、沖縄の伝統食は薬食同源を踏まえているようですね。