吾輩は世を忍ぶ仮の『人生』で「ニューヨークの小学校に転校した時」「広島の小学校に転校した時」
「東京の小学校に転校した時」いずれの時も『異文化の洗礼』を受けるという経験をして生きてきた。
無論、世仮の社会人として「魔界から人間界に来た時」にも。


洗礼に抗い、そこで己の『居場所』を模索することには色々な思いを持っている。


理解者もいれば、理不尽な人もいる。


でもそれが自分を強くしてくれたと、思うようにしている。


人を見る目もそりゃ肥える、異文化交流感覚も。


 
だから、異界から来て異文化に溶け込もうと孤軍奮闘している人物を見ると、無意識に応援したくなるようだし、
「どこの国の出身であろうが頑張っている人を頑張ったなりに評価すべきだ」という発想になるし、


逆に無神経な(実はそんなに悪意は無いのかも知れないが)『排他的な言動』には嫌悪感を抱く。


主義主張として「そうは思わない」人もいるだろう。


つまり吾輩の発言は『これは個人の感想です』でもある。



吾輩はプロ野球では広島カープを応援し、高校野球や大学の相撲では世仮の出身校を応援している。


「おらが故郷の同胞だから、その人(組)を贔屓目に応援する」気持ちは無論理解しているし、
故に「贔屓目に応援する」のは自由だが、だからといって贔屓でない相手を(特にその相手が己ではどうしても解決できない理由の部分において)傷付けて良い、ということでは無いのではないか?、とも思っているのである。


 
「美学」は様々だ。だから難しい。理解し合うことは難しい。


 
真面目な発言になってしまった。らしくない。つまらん!!
 


…じゃあ、こんなタイミングにもう一回発言してみるか。


広島カープ、今年また優勝したら、


今回からは「ビールかけ祝賀」ではない祝いにしてくれないかなぁ。


吾輩は、広島の結団清心が好きであるゆえに、他の「豊満球団」とは異なる祝賀の方法をとってもらいたいのだ。


そうすればもっと「さすが広島は違う!」となると思うのだ。


頭を捻れば他にもきっと「豊満ではない」が「選手たちが喜びを満喫できる」爽快な祝賀方法が考えられると思うのだがな~。


広島を思えばこそ言っているのだが。


 
これでまた暴言の嵐に晒されるのかな、吾輩は。


だが…



ではまたWebRock!