商売だからバンバン作ってガンガン売って、『あげた』『あげなかった』でガタガタ言われたくないから、どうでもいいと思いながらも義理で配って・・・。

今、アフリカだけでも年間500万人の5歳に達しない子供たちが、基本的に深刻な飢餓による栄養不足で命を落としている。もう一度書こう、500万人だ。

日本では売れ残った季節外れデザインの商品はいずれバンバン捨てられるであろう。人類の営みによって著しいスピードで砂漠化している森林。人類の乱獲で絶滅の危機に瀕している他の生き物たち。

狂騒につぎ込まれる『死に金』を、そういった事象を何とかするために使ったら/使おうと心掛けたら、美しい素晴らしい国になれるのにねぇ。

…本当に『愛を確認する日』ならば。

はっきりいって現代を生きる諸君の飽食/享楽は、諸君の孫子の生活の首を直接絞めている。つまり、それよりも今の自分の享楽を優先させている者は、子孫を「愛している」とは言えないのだ。

『愛を確認する日』だったはずなのに、皮肉だねぇ。

かえって要らぬモメゴトの種をまき、職場の不協和や友情亀裂の原因すら作る。本物の基督教徒だってけして喜んでいない、迷惑がっていることだろうよ。

「こういうことに使う分を、違うことのために金を使おう!」と呼びかけ、2月にそんなコンサートをやる骨のあるアーティストはでてこないのかね?

って言うか10万歩譲って、中学生・高校生までのお遊びとしてはまだ良しとしよう。

大人はそろそろやめたらどうかね、こんな安っぽい慣習は。季節の挨拶には「年賀」「中元」「暑中見舞い」「デモンマス」「歳暮」…と、いくらでも立派なやつが既に存在しているのだ。お前らは年間そんなに義理の確認がしたいのか?そんなこと無いだろう?同感ならば、ただちにやめるべし。これを読んでいる君一人からでもどうだね?無論受け取りも拒否するんだ、断ることには勇気が必るがね。今日うっかり受け取ってしまったブツも返してこい!きっとその人は来年から君にあげなくて済むから、懐が助かるはずだ。そうだ、人助けにもなるのだ。

相手を傷付けないように断るには・・・そのくらいの言葉は自分で考えやがれ、これは大きな相手との闘いなのだ!

大きな相手といえば、マス・メディアがまたスポンサーのご機嫌をとらんがために、この狂騒の片棒を担ぎ尻馬に乗り、やたらと煽るのが特に目に余る昨今だ。

前にも記した「何でもカタカナ4文字に省略する愚習」にも当てはまる話だが、マス・メディアが視聴率を気にするあまりに大衆の狂騒に迎合するのではなく、ブレーキの役割を担わずして、何の価値があろうや?それで「社会の木鐸」と言えるのか?

そんなメディアに「横綱の品格」を語ってもらいたくはない。

ちなみにこれを読んだ諸君の中には「モテなかったから、その僻みで今そういうことを言っているのだろう」と思っている輩がいるだろう。が、そんなことはないからその批判はおかど違いだ。安心してくれたまえ。ガッハッハ~

さていささか季節外れではあるが、今述べてきたような気持ちを10年以上前に歌にした、聖飢魔llの「悪魔のメリークリスマス」という曲があるので、機会があったら聴いてくれ給へ。あ、その曲には『青春編』と『完結編』が存在するのだが、できれば『完結編』の、特に2番をな。・・・おっと、こちとらも宣伝になっちまったぜ、タッハッハ~!

ではまたWeb Rock!